織田信孝

永禄元年(1558年)~天正11年(1583年)
尾張出身の戦国武将。他に神戸信孝など。織田信長の三男。兄弟に信忠、信雄など。「本能寺の変」後、中国より戻った羽柴秀吉とともに明智光秀を討ったが、後に秀吉と対立し北ノ庄の柴田勝家らとともに「賤ヶ岳の戦い」を起こした。柴田軍は敗れ信孝は岐阜城を明け渡した後切腹した。

古戦場

山崎合戦古戦場(山崎の戦い)

京都の山崎で羽柴秀吉軍が明智光秀軍を破った「山崎の戦い」が行われた地。歴史・概略天正10年(1582年)、明智光秀が京都本能寺において主君である織田信長を討ち取ることに成功。この「本能寺の変」の知らせを聞いて、すぐさま備中...
城跡

岐阜城

岐阜県岐阜市にあった城。 戦国時代、織田信長が天下取りの足掛かりとしたことで知られる。稲葉山城とも呼ばれる。歴史・概略 鎌倉時代に幕府御家人の二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされ、戦国時代には斎藤道三が居城とした。 ...
タイトルとURLをコピーしました