直江兼続

永禄3年(1560年)~元和5年(1620年)
越後出身の戦国武将。樋口兼豊の嫡男。上杉景勝に仕えた。豊臣秀吉の死後に勃発した「関ケ原の戦い」のきっかけを作ったのが徳川家康による会津征伐であるが、兼続が家康に送った書状、いわゆる「直江状」が家康を怒らせたことで会津征伐の口実となったとされている。

城跡

長谷堂城跡

山形県山形市にあった戦国時代から江戸時代初期にかけての山城。歴史・概略築城年は不明であるが山形城を本拠とする最上氏の支城のひとつとして築いたとされ、伊達氏が長谷堂を落としたとの記録がある。「関ケ原の戦い」の際には...
城跡

春日山城

新潟県上越市に室町時代から江戸時代初期にかけてあった城。 戦国時代、「越後の龍」と称された上杉謙信が居城としていたことで知られる。歴史・概略 室町時代初期、越後守護であった上杉氏によって築城されたことが始まりとされる。その後、守...
邸宅・住居跡

聚楽城上杉景勝・直江兼続屋敷跡

京都・聚楽第の武家地。上杉景勝と直江兼続の屋敷があったと考えられている場所。歴史・概略天正15年(1587年)、関白となった豊臣秀吉が政務をとる拠点として聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)を築城、周辺には武家屋敷が配置さ...
城跡

忍城址公園

埼玉県行田市にあった江戸時代の忍藩藩庁がおかれた城。歴史・概略 豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際には、城代として城を預かっていた成田長親(なりた・ながちか)が、石田三成を総大将とする約10倍の兵力に対して籠城戦を展開...
城跡

米沢城

山形県米沢市にあった城。 江戸時代の米沢藩藩庁で上杉氏の居城として知られる。歴史・概略 暦仁元年(1238年)、大江時広(長井時広)が地頭として赴任した際に築城したとされるが、確かなことは不明。室町時代には伊達氏の支配下...
邸宅・住居跡

山鹿素行誕生の地・直江兼続屋敷跡

会津若松の象徴である鶴ヶ城のすぐ西隣、上杉景勝の右腕ともいうべき直江兼続が屋敷を構えていた場所。また、江戸時代の儒学者、山鹿素行が生まれた場所でもある。歴史・概略慶長3年(1598年)、蒲生氏に代わって越後の上杉氏が会津へ...
城跡

鶴ヶ城(会津若松城)

福島県会津若松市にあった城。 江戸時代の会津藩藩庁。会津若松城とも呼ばれる。歴史・概略 南北朝時代の1384年、蘆名氏当主の蘆名直盛によって築城され、代々蘆名氏の城下町として発展した。伊達政宗が蘆名氏を滅ぼした後は政宗が...
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