細川ガラシャ

永禄6年(1563年)~慶長5年(1600年)
明智光秀の三女、細川忠興の正室。他に珠とも。忠興との結婚後、父・光秀が起こした「本能寺の変」により「逆臣の娘」となり幽閉生活を送った。その後キリシタンとなってガラシャの洗礼名を受けた。豊臣秀吉の死後に石田三成が蜂起した際、三成は大阪城にいた大名の妻子を人質に取ったが、ガラシャは人質となることを拒否し家臣の手によって自害した。

邸宅・住居跡

細川忠興夫人(ガラシャ)隠棲地

細川忠興の正室・お玉(後の細川ガラシャ)が「本能寺の変」が起こったあとに隠棲した地。歴史・概略細川ガラシャは丹後国宮津城主、後の豊前国小倉藩藩主である細川忠興(ほそかわ・ただおき)の正室。明智光秀の三女で、名を玉・珠・玉子...
城跡

勝龍寺城土塁 空堀跡

勝龍寺城は室町時代から江戸時代初期にかけて京都府長岡京市にあった城。 勝竜寺城・小竜寺城などの字もあてられる。歴史・概略延元4年/暦応2年(1339年)、細川頼春(細川藤孝の祖)により築城されたといわれるが信ぴょう性は低...
邸宅・住居跡

越中井(細川忠興邸跡・ガラシャ最後の地)

現在の大阪城より南へ数百メートルの場所、かつて細川忠興(越中守)邸がこの付近にあった。越中井はその屋敷の台所にあった井戸と伝えられる。歴史・概略細川忠興(ほそかわ・ただおき)は室町幕府の幕臣であった細川藤孝(幽斎)の長男で...
城跡

勝龍寺城跡

京都府長岡京市にあった城。小竜寺城とも呼ばれる。 戦国時代には細川氏の城となり、明智光秀の娘たま(後のガラシャ夫人)が輿入れし、暮らした城として知られる。歴史・概略読み:しょうりゅうじじょう 築城:延元4年/暦応2...
城跡

大阪城公園

大阪府大阪市にある城。歴史・概略 大阪城(おおさかじょう)は、天正11年(1583年)に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって築城され、その後秀吉政権の本拠地となった。築城時の総奉行は黒田官兵衛で縄張りも行った。城の北側に大川が流れる天...
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