京都府長岡京市にあった城。小竜寺城とも呼ばれる。
戦国時代には細川氏の城となり、明智光秀の娘たま(後のガラシャ夫人)が輿入れし、暮らした城として知られる。
歴史・概略
- 延元4年/暦応2年(1339年)、細川頼春により築城。ただし、歴史的な根拠はないといわれる。
- 永禄9年(1566年)、岩成友通に攻められ落城。
- 永禄11年(1568年)、織田信長軍に攻められ落城(勝竜寺城の戦い)。
- 元亀2年(1571年)、細川藤孝が入城。このとき、城が改修されたとされ、勝龍寺城は織田政権にとって山城支配の拠点となった。
- 天正6年(1578年)、明智光秀の娘お玉が細川忠興(ほそかわ・ただおき)に輿入れ。
- 天正9年(1581年)、細川氏が丹後に転封。
- 天正10年(1582年)、「本能寺の変」後、明智光秀の属城となる。
- 天正10年(1582年)、「山崎の合戦」で明智光秀が羽柴秀吉に敗れ落城。
- 寛永10年(1633年)、旗本の永井直清が入府し、山城長岡藩が立藩。
- 慶安2年(1649年)、廃城。
- 「山崎の合戦」前後の出来事
6月2日 本能寺の変
6月6日 羽柴秀吉が備中高松城より引き上げ(中国大返し)(日付は諸説あり)
6月13日 山崎の合戦
6月13日 明智光秀が戦いに敗れ勝龍寺城へ帰城
6月13日 明智光秀が勝龍寺城から坂本城へ逃げる途中で絶命
6月14日 坂本城落城
6月15日 安土城本丸焼失
6月27日 清須会議
見どころ・おすすめ
- 資料室では細川氏や「山崎の合戦」に関わる展示がされている。
- 「山崎の合戦」に敗れた明智光秀が坂本城を目指して抜け出したという北門が残っており、当時の石垣が見られる。
- 天守があったと考えられる西側の土塁からは天王山を望むことができる。
- 山崎から長岡京にかけて周辺には「山崎の合戦」に関連する史跡が点在しているので、同時に回るのがおすすめ。1日で全部を回り切るのは結構大変かもしれないが、合戦のスケール感が掴める。
- 天王山中腹の旗立松からは合戦場所周辺を俯瞰して見ることができる。
- 少し北側に土塁と空堀跡があるので、勝龍寺城をひとしきり回ったら寄ってみるといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府長岡京市勝竜寺 【付近の史跡】
[ 北東・約0.2km ] 勝龍寺城土塁 空堀跡
[ 南西・約0.5km ] 恵解山古墳(明智光秀本陣跡)
[ 北・約0.5km ] 勝龍寺城本丸跡
[ 北西・約0.6km ] 長岡京発見之地
[ 南・約0.8km ] 中山修一記念館
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主な施設 |
土塁・空堀・石垣・土橋・管理棟(休憩室・資料室) |
利用時間 |
【4月~10月】 9:00 ~ 18:00 【11月~3月】 9:00 ~ 17:00 |
定休日 |
毎週火曜日 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「長岡京」駅から約0.8Km ・阪急電車「長岡天神」駅から約1.5Km 【バス】 ・阪急バス「勝竜寺城公園前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「大山崎IC」から約2Km ・駐車場あり |