京都府舞鶴市にあった城。舞鶴城とも呼ばれる。
歴史・概略
- 天正7年(1579年)、丹後を領有した細川藤孝(幽斎)によって築城、その際に地名を田辺と改めた。
- 天正10年(1582年)、「本能寺の変」が起こる。
直後に明智光秀から誘いを受けるが、剃髪して田辺城に隠居、幽斎を名乗った。幽斎のこの行動によって光秀の命運が別れたともされ、後に羽柴秀吉から感謝の手紙を受け取っている。 - 慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」が起こる。
細川家は東軍に与したが、会津征伐から関ヶ原本戦に至る戦いに細川忠興が参加していたため主力を欠いていた。そのため、幽斎は宮津城を捨て、わずかな手勢で田辺城に籠城した。その後西軍の大軍に囲まれたが、2カ月を耐え忍び朝廷の仲裁によって城を明け渡した。 - 慶長5年(1600年)、細川家は関ケ原の功績として豊前国中津に加増移封。
- 慶長5年(1600年)、京極高知が入封。のちに居城を宮津城に移した。
- 元和8年(1622年)、京極高知の三男・京極高三が田辺を相続し、田辺藩が立藩。
- 寛文8年(1668年)、牧野親成が入封。以降、明治に至るまで牧野氏が藩主となった。
- 築城:天正7年(1579年)
- 廃城:明治7年(1873年)
- 築城主:細川幽斎
- 構造:輪郭式・平城
- 主な城主:細川氏・京極氏・牧野氏
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府舞鶴市南田辺 |
主な施設 |
石垣・堀・庭園・田辺城資料館 |
利用時間 |
【田辺城資料館】 9:00~17:00 |
定休日 |
【田辺城資料館】 月曜日(祝日の場合翌々日)・祝日の翌日・12/29~1/3 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「西舞鶴」駅から約0.5Km 【バス】 ・京都交通バス「千日前」「東田辺」バス停 【マイカー】 ・舞鶴若狭自動車道「舞鶴西IC」から約5Km ・駐車場あり |