歴史・概略
聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白に就任した豊臣秀吉が、かつての平安京大内裏跡に築城した政庁兼邸宅で、完成後は大阪城より移ってここを本拠とした。
この石碑の立つ場所は、聚楽第の南側を東西方向に伸びていた外堀部分にあたり、ここから松林寺の境内に向かっての落ち込みが堀の跡とされる。
聚楽第は秀吉が天下統一を果たしたのち、関白職を甥の豊臣秀次に譲ったときに秀次の城となった。しかし、秀吉から謀反の疑いをかけられ、秀次は切腹に追い込まれ城は破却されてしまった。
- 築城:天正14年(1586年)
- 廃城:文禄4年(1595年)
- 築城主:豊臣秀吉
- 構造:平城
- 主な城主:豊臣秀吉・豊臣秀次
見どころ・おすすめ
- 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在し石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
- 周辺には大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿ってみるのも面白い。
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史跡情報
地図 |
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【場所】
京都府京都市上京区浄福寺通出水下る東入る |
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「二条」駅から約1.2Km ・地下鉄「二条」駅から約1.2Km 【バス】 ・市バス「丸太町智恵光院」「千本出水」「千本丸太町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |