歴史・概略
聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、豊臣秀吉が関白としての政務を果たすための拠点として、かつての平安京大内裏跡地に築城された。築城後は、大阪城より居を移し本拠地とした。瓦には金箔が施され、天守をも備えた豪華絢爛な城であったという。
石碑の立てられているこの場所は南二ノ丸の南東部分にあたり、濠には鵲橋(かささぎばし)が架かっていたとされている。 豊臣政権のシンボルである大阪城(大阪府大阪市) 豊臣秀吉が聚楽第完成以前に京都における拠点としていた妙顕寺城跡(京都府京都市)
天正19年12月(1592年2月)、嫡男の鶴松を亡くした秀吉は甥の秀次に関白職を譲った。このとき秀次は聚楽第の城主となったが、後に秀吉に謀反の疑いをかけられ切腹、城は竣工からわずか8年という短い期間で破却されてしまった。 秀次一族の菩提を弔う瑞泉寺(京都府京都市)
- 築城:天正14年(1586年)
- 廃城:文禄4年(1595年)
- 築城主:豊臣秀吉
- 構造:平城
- 主な城主:豊臣秀吉・豊臣秀次
見どころ・おすすめ
- 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在し石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
- 大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿るのも面白い。
関連動画

豊臣秀吉幻の城!聚楽第跡地
豊臣秀吉が京都に建てた幻の聚楽第の痕跡を辿る・本丸東濠跡・本丸西濠跡・石垣発掘の地・鵲橋旧蹟・南外濠跡#豊臣秀吉#聚楽第#京都

豊臣秀吉幻の聚楽第 大名屋敷跡を巡る
京都中心部にあった豊臣秀吉の居城・聚楽第周辺にある大名屋敷跡の石碑を巡ってみた#豊臣秀吉#聚楽第#京都
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府京都市上京区松屋町通出水上る 【付近の史跡】
[ 南西・約0.2km ] 平安宮内酒殿跡
[ 北西・約0.2km ] 佐賀鍋島藩屋敷跡(京都)
[ 西・約0.2km ] 聚楽第南外濠跡
[ 南西・約0.3km ] 平安宮一本御書所跡
[ 西・約0.3km ] 平安宮内裏昭陽舎跡
|
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約1.4Km ・JR「二条」駅から約1.6Km 【バス】 ・市バス「丸太町智恵光院」「堀川下立売」「堀川下長者町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |