山県昌景

享禄2年(1529年)~天正3年(1575年)
甲斐出身の戦国武将。他に飯富源四郎とも。武田四天王、武田二十四将のひとり。もともと飯富姓を名乗っていたが、後に途絶えていた武田家の名跡である山県姓を名乗り、昌景と名を改めたとされる。武田信玄に仕え「川中島の戦い」にも出陣している。信玄の死後は勝頼に仕え「長篠の戦い」で多くの重臣たちとともに討死した。

古戦場

一言坂の戦跡(三方ヶ原の戦い前哨戦)

甲斐の武田信玄が晩年行った織田・徳川領侵攻(西上作戦)における古戦場のひとつ。歴史・概略元亀3年(1572年)、本願寺や越前朝倉氏、比叡山延暦寺など反信長(信長包囲網)の動きに同調した信玄は、織田・徳川領への侵攻を開始、三...
墓・慰霊碑

山県昌景の墓(長篠の戦い)

「長篠の戦い」で討ち取られた武田氏の重臣・山県昌景の墓。歴史・概略山県昌景(やまがた・まさかげ)は武田信虎・信玄・勝頼の三代に渡って仕えた甲斐武田家の重臣。馬場信春(信房)や内藤昌豊、高坂昌信とともに武田氏を支えた武田四天...
古戦場

長篠役設楽原決戦場

天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長篠役設楽原決戦場」の碑が立つ。歴史・概略長篠城の西側、設楽原(...
古戦場

三方ヶ原古戦場

戦国時代末期、西に侵攻を開始した武田信玄とそれを守る隣国の徳川家康との間に起きた戦闘の地。歴史・概略信濃を平定し駿河侵攻によって領土の拡大を続ける武田信玄は、いよいよ西に向け侵攻し始めた。それを食い止めようと家康は必死の抵...
古戦場

八幡原史跡公園(川中島の戦い)

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が北信濃で攻防を繰り広げた「川中島の戦い(八幡原の戦い)」の際、この場所に信玄が本陣を置いたとされる。歴史・概略「川中島の戦い」は最初の対陣より10年以上、5度にわたって行われ、中でも4度目の...
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