平安時代末期、皇位継承問題によって引き起こされた「保元の乱」に敗れて処刑された源為義の墓。
歴史・概略
- 源為義(みなもと・ためよし)は、河内国を本拠地とした河内源氏のひとりで、源頼朝や源義経などの祖父にあたる。
- 保元元年(1156年)、鳥羽法皇の崩御をきっかけに後白河天皇派と崇徳上皇派に朝廷が分裂、武力衝突をするに至った。後白河天皇側には平清盛や源義朝らが付き、崇徳上皇側には源為義や平忠正らが付いて一族を二分しての戦いとなった。
- 戦いは後白河天皇側の勝利に終わり忠正と為義は処刑、崇徳上皇は讃岐へと流された。為義は自身の子である義朝の手で処刑されたという。
- 現在の塚は梅小路貨物ヤードの整備にともなって明治期に移転されたものである。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市下京区七条通七本松東入る 【付近の史跡】
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[ 南東・約0.7km ] 六孫王神社
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主な施設 |
源為義公塚 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「梅小路京都西」駅から約0.4Km 【バス】 ・市バス「七条千本」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約5Km |