戦国時代末期、西に侵攻を開始した武田信玄とそれを守る隣国の徳川家康との間に起きた戦闘の地。
歴史・概略
- 信濃を平定し駿河侵攻によって領土の拡大を続ける武田信玄は、いよいよ西に向け侵攻し始めた。それを食い止めようと家康は必死の抵抗を行うが、次々に城を落とされ、武田軍は家康が本拠とする浜松へと迫ってきていた。
元亀3年12月22日(1573年1月25日)、浜松城での籠城戦を覚悟した家康に対して武田軍はこれを素通り、その動きに挑発された家康は城を討って出て武田軍を追撃、浜松城の北・三方ヶ原(みかたがはら)において戦闘となった(三方ヶ原の戦い)。 - 魚鱗の陣の陣形をとる武田軍に対し、徳川軍は鶴翼の陣で応戦した。兵力と戦略に勝る武田軍は2時間ほどで勝利を収め、家康は命からがら浜松城へと逃げ帰った。
家康はこの時、あまりの恐怖に脱糞したとも伝わっている。 - その後「空城の計(わざと隙を作って相手に警戒させる)」によって危機を乗り切った家康は、犀ヶ崖(さいががけ)に陣取る武田軍に夜襲を掛け、一矢を報いた。
- おもな出来事
<元亀3年>
10月13日 一言坂の戦い
10月16日 二俣城の戦い
12月22日 三方ヶ原の戦い
12月22日 犀ヶ崖の戦い
<元亀4年>
1月 2日 野田城の戦い
4月12日 武田信玄、死去 - 「三方ヶ原の戦い」前後のおもな出来事
1560年 桶狭間の戦い
1561年 川中島の戦い(第4次)
1568年 武田信玄、駿河侵攻
1570年 徳川家康、浜松城に移る
1573年 三方ヶ原の戦い
1573年 信玄、死去
1575年 長篠の戦い
1582年 武田氏滅亡
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県浜松市北区根洗町 【付近の史跡】
[ 北西・約0.6km ] 根洗松(三方ヶ原の戦い)
[ 南・約8km ] 夏目次郎左衛門吉信の碑(三方ヶ原の戦い)
[ 南・約8km ] 犀ヶ崖古戦場
[ 南・約9km ] 太刀洗池(築山御前終焉・信康事件)
[ 南・約9km ] 浜松城公園
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【バス】 ・遠鉄バス「三方原墓園」バス停 【マイカー】 ・東名高速「浜松西IC」から約5Km |