徳川秀忠 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 06 Nov 2023 00:00:30 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 徳川秀忠 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 江戸城跡(皇居) https://rekishidou.com/edojo/ https://rekishidou.com/edojo/#respond Fri, 18 Mar 2016 01:02:16 +0000 http://rekishidou.com/?p=2600 東京都千代田区にある城。
徳川家康によって開かれた江戸幕府の拠点として知られる。

歴史・概略

  • 築城:長禄元年(1457年)
  • 廃城:
  • 築城主:太田道灌
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主: 太田氏・扇谷上杉氏・北条氏・徳川氏・皇室
  • 日本100名城
  • 長禄元年(1457年)、関東に勢力を張っていた扇谷上杉氏の家臣・太田道灌(おおた・どうかん)が平安時代よりこの地に勢力を張っていた江戸氏居館に江戸城を築城。
  • 大永4年(1524年)、北条氏の勢力拡大により北条氏の城となる。
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の「小田原攻め(小田原征伐)」により北条氏は降伏、この時の戦功によって家康が北条氏の旧領に入り江戸城を本拠とする。
  • 秀吉の死後勃発した「関ケ原の戦い」に勝利し家康が幕府を開いた後もここを本拠とし、幕末まで続く。
  • 慶長8年(1603年)~万治3年(1660年)、天下普請による江戸城改修工事が続く。
  • 明暦3年(1657年)、明暦の大火により天守を含め建物の多くを焼失。
  • 安政2年(1855年)、安政大地震で建物や石垣などに被害。
  • 慶応4年(1868年)、徳川家が新政府軍に江戸城を明け渡す。
  • 明治2年(1869年)、明治天皇が「禁門の変」で荒廃していた京都より遷り皇居となる。

見どころ・おすすめ

  • 天守台-明暦の大火で焼失し再建された天守台。しかし後に天守は不要とされ天守は再建されなかった。
  • 桜田門・田安門・清水門-国の重要文化財。
  • 大番所・百人番所・同心番所-警護員の詰所。
  • 富士見多聞-江戸城で唯一現存している多門櫓。
  • 松の大廊下跡-浅野内匠頭(長矩)が吉良上野介(義央)に刃傷に及んだというあの廊下跡。
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大阪城公園 https://rekishidou.com/osakajo/ https://rekishidou.com/osakajo/#respond Sat, 19 Dec 2015 09:22:22 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=12 大阪府大阪市にある城。

歴史・概略

大阪城(おおさかじょう)は、天正11年(1583年)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉によって築城され、その後秀吉政権の本拠地となった。築城時の総奉行は黒田官兵衛で縄張りも行った。城の北側に大川が流れる天然の要害で、築城以前には石山本願寺が建っていた。別名金城、または錦城ともいう。

秀吉の死後、遺児である豊臣秀頼が政権を引き継いだが、関ケ原の戦いを経て江戸幕府を開いた徳川家康の率いる大軍に攻められ落城した。その後、江戸幕府により大掛かりな改修が行われ、豊臣時代の遺構は土の中へと消えた。現在残っている櫓や石垣、縄張りのほとんどは江戸期のものである。

天守は豊臣時代と徳川時代に築かれたがいずれも焼失し、今ある天守は昭和になってから市民の寄付によって再建された。下から4層目までは徳川時代風の漆喰の白い壁、5層目は豊臣時代風に黒い壁に金箔で虎などを描くなどしている天守は、今や大阪のシンボルとなっている。

豊臣時代大阪城復元模型

豊臣時代大阪城復元模型(大阪城天守閣)


徳川時代大阪城復元模型

徳川時代大阪城復元模型(大阪城天守閣)

  • 築城:天正11年(1583年)
  • 廃城:明治元年(1868年)
  • 築城主:豊臣秀吉
  • 構造:平城・輪郭式
  • 日本100名城
  • 重要文化財(大手門・多門櫓・千貫櫓・乾櫓など)
  • 天正11年(1583年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)により石山本願寺跡地に築城。工事はほかに天正14年(1586年)文禄3年(1594年)慶長3年(1598年)など数度に渡って行われた。
  • 天正14年(1586年)、大阪城内において徳川家康秀吉に対し諸大名が列するなか臣従を誓った。
  • 慶長5年(1600年)、石田三成が挙兵三成が城内にいる大名家の人たちを拘束。このとき細川ガラシャは人質となることを拒否して自害。
  • 慶長8年(1603年)、徳川秀忠の娘・千姫秀頼に輿入れ。
  • 慶長19年(1614年)、大坂冬の陣が起こる。
  • 慶長20年(1615年)、大坂夏の陣が起こる。
  • 寛永6年(1629年)、大修築完了。
  • 寛文5年(1665年)、落雷により天守焼失。
  • 慶応2年(1866年)、長州征伐で上洛していた将軍・徳川家茂が大阪城で病没。
  • 慶応3年(1868年)、徳川慶喜が京都二条城から大阪城に退去。
  • 慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦い」により慶喜が江戸へ退去。
  • 昭和6年(1931年)、復興天守閣完成。
  • 「大阪の陣」のおもな出来事
    <慶長19年>7月 方広寺梵鐘の銘文事件/10月 豊臣方・徳川方開戦準備/11月 木津川口の戦い/11月 今福の戦い/11月 鴫野の戦い/11月 博労淵の戦い/11月 野田・福島の戦い/12月 真田丸の戦い/12月 豊臣方と徳川方が和議/12月 堀の埋め立て開始
    <慶長20年>3月 豊臣家の移封を要求/4月 再び開戦準備/4月 樫井の戦い/5月 道明寺の戦い(後藤又兵衛討死)/5月 八尾・若江の戦い/5月 天王寺・岡山の戦い(真田幸村討死)/5月 千姫、大阪城より救出/5月 大阪城落城(秀頼・淀君自害)

見どころ・おすすめ

  • 天守閣-豊臣秀吉と大阪城に関する博物館。
  • 門・櫓・蔵-大手門や多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、金蔵など城内には数多くの建物が残されている。
  • 豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地碑-大坂の陣」で豊臣秀頼淀殿が自刃した場所と伝わる。
  • 豊国神社-豊臣秀吉を祀る神社。境内には巨大な豊臣秀吉像が立つ。
  • 石垣-石垣にはところどころ巨石が使われており、これらを巡ってみるのも面白い。
  • 庭園-桜や梅など季節ごとの花が咲き誇る。
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木幡山伏見城跡 https://rekishidou.com/fushimijo-2/ https://rekishidou.com/fushimijo-2/#respond Tue, 23 Jul 2019 01:15:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=1294 京都府京都市にあった安土桃山時代から江戸時代初期の平山城。

歴史・概略

大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦闘も行われた。先に築城された指月伏見城(しげつふしみじょう)と区別するため、木幡山伏見城とも呼ばれる。他に桃山城とも呼ばれる。

  • 築城:文禄5年(1596年)
  • 廃城:元和9年(1623年)
  • 築城主:豊臣秀吉
  • 構造:梯郭式・平山城
  • 主な城主:豊臣氏・徳川氏
  • 文禄5年(1596年)、それまで豊臣秀吉が居城としていた指月伏見城が慶長伏見地震によって壊滅的な被害を受けたため、そこから少し離れた木幡山(こはたやま)に新たな城の築城を開始。
    その際、指月伏見城のかなりの部分が再利用され工事は急ピッチで進められた。
  • 慶長2年(1597年)、伏見城が完成。
  • 慶長3年(1598年)、秀吉が伏見城内で死去。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い」の前哨戦として、西軍が徳川家の家臣・鳥居元忠が守る伏見城を攻撃し、1か月以上の戦いの末に落城。この戦いで建物のほとんどが焼失したと思われる。
  • 慶長6年(1601年)、徳川家康により、伏見城の再建が開始。普請奉行は城造りの名人として知られる藤堂高虎
  • 慶長8年(1603年)、家康が、伏見城内で将軍宣下を受ける。この時をもって江戸幕府の開始とされる。
  • 慶長10年(1605年)、徳川秀忠が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、徳川家光が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、廃城。これ以後、伏見奉行所の管理下に置かれ幕末まで立ち入りが制限された。
  • 本丸跡付近は明治天皇陵となっており、現在立ち入りが禁止されている。
  • 花畑曲輪跡には、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の施設として、徳川時代の天守をモデルにした模擬天守が建てられた。しかし、現在は遊園地が閉園してしまったため、天守への立ち入りはできない状況となっている。

見どころ・おすすめ

  • 模擬天守は現在立ち入り禁止となっており、外から眺めることしかできない。
  • 周辺の伏見城遺構としては、北堀跡と言われる北堀公園や伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地、桃山東小学校内の復元石垣などがあり、御香宮神社の表門は伏見城大手門の移築とされているので、そちらも覗いてみるといい。
  • JR桃山駅近くには、木幡山伏見城が築城される以前に使用された指月伏見城の遺構が残されているので、そちらも見てみるといい。

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上田城 https://rekishidou.com/uedajo/ https://rekishidou.com/uedajo/#respond Sat, 23 Jan 2016 03:34:00 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=313 長野県上田市にあった城。信濃国上田藩の藩庁。

歴史・概略

天正11年(1583年)、かつて甲斐武田氏に仕えていた真田昌幸によって築城。何倍もの兵力で攻撃を仕掛けてきた徳川軍を2度に渡って退けた城として知られる。

武田氏の滅亡、織田信長の死去により信濃・甲斐・関東の一帯が混乱する中、昌幸徳川家康と手を結ぶ。しかし家康は安堵したはずの真田領を勝手に北条領としてしまったことで、第一次上田合戦が起こる。徳川軍は城を守る数倍の兵力を動員するが、昌幸の巧みな作戦によってこれを翻弄、徳川軍は兵を引いた。

さらに「関ケ原の戦い」の際には、西軍に与する真田昌幸真田幸村(信繁)親子が西へ向かう徳川秀忠率いる徳川本隊を足止めした。これにより徳川本隊は「関ケ原の戦い」に遅参、戦後の勢力図に大きな影響を与えた。

  • 築城:天正11年(1583年)
  • 廃城:明治7年(1874年)
  • 築城主:真田昌幸
  • 構造:梯郭式・平城
  • 主な城主:真田氏・仙石氏・藤井松平氏
  • 日本100名城
  • 天正11年(1583年)、真田昌幸により築城
  • 天正13年(1585年)、第一次上田合戦
  • 慶長5年(1600年)、第二次上田合戦
  • 慶長6年(1601年)、上田城破却
  • 元和8年(1622年)、真田氏が松代へ移封
  • 寛永3年(1626年)、藩主仙石忠政によって上田城再建開始
  • 寛永5年(1628年)、忠政が没したため再建中止
  • 明治7年(1874年)、廃城

見どころ・おすすめ

  • 東虎口櫓門-復元された櫓と門。上田城の玄関口。
  • 真田石-東虎口櫓門脇の石垣。真田信之が領地替えの際、形見に持っていこうとしたとか。
  • 西櫓-江戸時代の現存櫓。
  • 上田市立博物館-真田氏をはじめとした歴代城主に関する展示館。
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