「大阪の陣」において、大坂方の真田幸村が徳川勢に対抗するため築いた真田丸跡。
歴史・概略
- 慶長19年(1614年)、豊臣氏と徳川氏の関係悪化に伴い、大阪城の主・豊臣秀頼は徳川に対抗するため大量の浪人を集めた。その際、高野山で蟄居中の身であった真田信繁(幸村)は、秀頼の要請を受けて大阪城へと入城する。
- 幸村は、大阪城の南側の防御が弱いとみてこの場所に1か月ほどで出城を築城、三日月のような形をしていたことから、偃月城(えんげつじょう)とも呼ばれた。
- 真田隊は前線にいた前田利常隊を挑発、その挑発に乗って攻めかかったところを待ち伏せていた真田隊が襲いかかった。この戦いで徳川方は多くの死傷者を出し、「大阪の陣」における最大の戦功を挙げた。
見どころ・おすすめ
- 真田丸の縄張り図にある寺がそのまま並んでいる。また高低差のある地形の様子も分かるので少しまわりを歩いてみるといい。
- 少し東に行くとこちらも真田丸跡といわれる三光神社があり、幸村の銅像がある。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市天王寺区餌差町 【付近の史跡】
[ 東・約0.2km ] 三光神社(大坂の陣)
[ 南西・約0.5km ] 高津宮址(仁徳天皇)
[ 北西・約0.7km ] 前期難波宮朝堂院南門跡
[ 北・約0.8km ] 越中井(細川忠興邸跡・ガラシャ最後の地)
[ 北・約0.9km ] 難波宮跡東辺
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「玉造」駅 ・大阪地下鉄「玉造」駅 |