「治承・寿永の乱(源平合戦)」における戦いのひとつで、「石橋山の戦い」が起こった場所。
歴史・概略
- 治承4年(1180年)8月、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)が出した平家追討の令旨を受けて、伊豆へ配流の身となっていた源頼朝が挙兵する。頼朝は伊豆国の目代(もくだい・代官のこと)である山木兼隆(平兼隆)の館を襲撃、兼隆を討ち取ることに成功した。
- しかし、こうした動きに平家方の相模国武将・大庭景親(おおば・かげちか)らは、頼朝を討つべくすぐに兵を向かわせた。頼朝は石橋山に布陣、こうして治承4年8月23日(1180年9月14日)、両軍が激突した。
平家方の兵力は約3000騎、対する頼朝方は味方である三浦一族が合流できなかったこともあって、わずか300騎ほどの兵力しかなかった。圧倒的な兵力差を前に頼朝軍は敗北、ちりぢりに敗走した。 - 山中に辛くも逃れた頼朝は、身を隠しながら真鶴から海を渡って房総半島へと向かった。そして、この戦いから約2カ月が経った10月、反平氏の兵を集め再び平家軍と対峙、「富士川の戦い」で平家軍に勝利を収めた。
この勝利により頼朝は関東の支配権を確立、平家を脅かす勢力へと拡大していった。 - 「石橋山の戦い」前後のおもな出来事
<治承4年>
4月 9日 以仁王が平家討伐の令旨を下す
5月26日 宇治平等院の戦い
8月17日 山木館襲撃
8月23日 石橋山の戦い
8月25日 波志田山合戦
8月26日 衣笠城合戦
10月20日 富士川の戦い
見どころ・おすすめ
- 周辺には「石橋山の戦い」に関連する史跡(与一塚(佐奈田霊社)・文三堂・しとどの窟(真鶴)・しとどの窟(湯河原)・源頼朝船出の浜)が点在するのでまとめて回るのがおすすめ。
史跡情報
地図 |
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【場所】 神奈川県小田原市石橋 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 与一塚(佐奈田霊社)
[ 南西・約0.2km ] 文三堂(石橋山の戦い)
[ 北西・約2km ] 石垣山城跡(小田原征伐)
[ 北東・約3km ] 小田原城
[ 南・約8km ] しとどの窟(真鶴)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「早川」駅から約2Km 【バス】 ・箱根登山バス「石橋」バス停 【マイカー】 ・西湘バイパス「石橋IC」から約1Km |