治承4年(1180年)に起こった「石橋山の戦い」において、平家軍に敗れた源頼朝が追撃から逃れるため、隠れ潜んだといわれる洞窟。
歴史・概略
- 「平治の乱」の後、平清盛によって伊豆へと流されていた頼朝が、平家追討と源氏再興の願いを込め挙兵、石橋山で平家軍に大敗を喫する。わずか数名で逃れてきた頼朝は、湯河原を本拠としていた土肥実平らの案内で、洞窟などに隠れ追手をかわしたという。いま「土肥椙山巌窟」と呼ばれる岩窟は信仰の対象となっており、そこに至る道中はもちろん岩窟の中にも数多くの石仏や石塔などが並べられている。
- その後、頼朝は真鶴にある「しとどの窟」(こちらも同じ名で呼ばれるが、いくつか同じような洞窟などを転々としたのだろうとの見解)に潜んだ後、房総半島へと逃れた。
- 「石橋山の戦い」前後のおもな出来事
<治承4年>
4月 9日 以仁王が平家討伐の令旨を下す
5月26日 宇治平等院の戦い
8月17日 山木館襲撃
8月23日 石橋山の戦い
8月25日 波志田山合戦
8月26日 衣笠城合戦
10月20日 富士川の戦い
史跡情報
地図 |
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【場所】 神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋 【付近の史跡】
[ 東・約6km ] しとどの窟(真鶴)
[ 西・約8km ] 山中城跡
[ 北東・約9km ] 文三堂(石橋山の戦い)
[ 北東・約9km ] 与一塚(佐奈田霊社)
[ 北東・約9km ] 石橋山古戦場(源平合戦)
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主な施設 |
石仏群 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【マイカー】 ・国道135号から約13Km ・駐車場あり |