吉田稔麿 | 場所と地図 – 歴史のあと

吉田稔麿

天保12年(1841年)~元治元年(1864年)
よしだ・としまろ。幕末の長州藩士。吉田松陰の松下村塾で学び「松下村塾の四天王」とも呼ばれた。池田屋事件の際、新選組の襲撃時に中座していて不在だったが、その後異変を聞きつけて駆け付けて亡くなった。

邸宅・住居跡

松下村塾

江戸時代末期、吉田松陰によって萩城下に開かれた私塾。 歴史・概略 吉田松陰(よしだ・しょういん)は長州藩士の杉家に生まれ、幼名を寅之助といった。後に叔父で...
事件

池田屋騒動之址(新選組)

幕末の京都で新選組が起こした池田屋事件のあった場所。 歴史・概略 元治元年(1864年)、池田屋に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを京都の治安維持組織であ...
邸宅・住居跡

吉田稔麿殉節地・山本覚馬八重邸・御土居跡

長州藩の志士・吉田稔麿が池田屋事件の戦闘で亡くなった地。また山本覚馬・新島八重の邸宅跡、および御土居の跡とされる。 歴史・概略 碑文 「此付近 池田屋事...
寺社

久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡(法雲寺)

京都市にある浄土宗の寺院。 幕末の一時期、長州藩藩士の久坂玄瑞や吉田稔麿らが当寺で生活していた。 歴史・概略 碑文「久坂玄瑞 吉田稔麿 等寓居跡」「此南...
墓・慰霊碑

池田屋事変殉難志士墓所跡(三縁寺跡)

池田屋事件で犠牲となった志士たちの墓所跡。 歴史・概略 元治元年6月5日(1864年7月8日)、尊攘派志士たちが潜伏していた宿屋を、京都の治安維持を担う新...