久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡(法雲寺) | 場所と地図 – 歴史のあと

久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡(法雲寺)

寺社
ジャンル:邸宅・住居跡/寺社/事件
史跡年代:幕末維新

京都市にある浄土宗の寺院。
幕末の一時期、長州藩藩士の久坂玄瑞吉田稔麿らが当寺で生活していた。

歴史・概略

  • 碑文「久坂玄瑞 吉田稔麿 等寓居跡」「此南 池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地」「此南西 吉田稔麿所縁 塩屋兵助宅跡伝承地」
  • 法雲寺(ほううんじ)は、戦国時代末期源蓮社然譽上人が庵を営んだことに始まり、元和2年(1616年)に法雲寺となった。
    このすぐ南には長州藩邸があり、付近には長州藩士たちの多くが住み着いた。法雲寺もそうした宿所のひとつとして利用されたという。
  • 文久2年(1862年)、久坂玄瑞(くさか・げんずい)寺島忠三郎(てらしま・ちゅうざぶろう)らが長州藩士・長井雅楽(ながい・うた)殺害計画の処分により謹慎。
  • 文久2年(1862年)、亡命していた吉田稔麿(よしだ・としまろ)が自主、当寺で謹慎。
  • 元治元年6月5日(1864年7月8日)、新選組と尊攘派志士らの抗争・池田屋事件が勃発。南に隣接する角倉与一邸前で割腹した遺体が発見され、この事件において犠牲となった土佐藩望月亀弥太(もちづき・かめやた)であるとされた。

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市中京区清水町
【付近の史跡】
[ 南東・約0.1km ] 島津製作所創業之地
[ 東・約0.1km ] 角倉了以別邸跡
[ 南東・約0.2km ] 角倉氏邸址
[ 南東・約0.2km ] 史跡高瀬川一之船入
[ 西・約0.2km ] 藤原定家京極邸址
主な施設
石碑・案内板
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「京都市役所前」駅から約0.2Km
・京阪電鉄「三条」「神宮丸太町」駅から約0.8Km

【バス】
・京都バス「京都市役所前[一之船入町]」バス停
・市バス「京都市役所前」バス停

【マイカー】
・名神高速道路「京都東IC」から約7Km
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