歴史・概略
- 山県昌景(やまがた・まさかげ)は武田信虎・信玄・勝頼の三代に渡って仕えた甲斐武田家の重臣。馬場信春(信房)や内藤昌豊、高坂昌信とともに武田氏を支えた武田四天王のひとりとされる。
- 天正3年5月21日(1575年6月29日)に起った「長篠の戦い」では織田・徳川連合軍の長篠到着によって開かれた武田軍の軍議の席で、昌景は他の重臣たちとともに総大将の武田勝頼に対して撤退を進言したとされる。しかし、勝頼は決戦を決意、設楽ヶ原で両軍は激突し武田軍は大敗を喫した。昌景は退却の際、敵の追撃によって討死した。
- いくつか並んで立てられている墓のうち、一番左側に立てられているのが山県三郎兵衛昌景の墓。そのほかに昌景の子である山県甚太郎昌次と従士名取又左エ門道忠の墓、高坂又八郎助宣の墓が一緒に立てられている。
見どころ・おすすめ
- 周辺には「長篠の戦い」に関する史跡が点在しているので、まとめて回るのがおすすめ。
- 新城市設楽原歴史資料館では「長篠の戦い」や火縄銃に関しての資料が展示がしてある。
- 3Kmほど東には、この戦いのきっかけとなった長篠城がある。
史跡情報
地図 |
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【場所】 愛知県新城市竹広 【付近の史跡】
[ 北東・約0.2km ] 原昌胤の墓(長篠の戦い)
[ 北東・約0.2km ] 小幡信貞の墓(長篠の戦い)
[ 東・約0.2km ] 首洗い池(長篠の戦い)
[ 北東・約0.2km ] 信玄塚(長篠の戦い)
[ 西・約0.3km ] 長篠役設楽原決戦場
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主な施設 |
山県三郎兵衛昌景の墓・山県甚太郎昌次、従士名取又左エ門道忠の墓・高坂又八郎助宣の墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「三河東郷」駅から約0.8Km 【バス】 ・新城市コミュニティバス「歴史資料館」バス停 【マイカー】 ・新東名高速道路「新城IC」から約1.2Km |