天正7年8月29日(1579年9月19日)、徳川家康の正室であった築山御前(つきやまごぜん)を殺害した際、その太刀を洗ったとされる池跡。
歴史・概略
- 事件発生当時、築山御前は家康嫡男の松平信康とともに岡崎城内に住んでいた。発端は信康の正室であった徳姫が父の織田信長に対して武田氏への内通を報告したこととされる。その後、報告を受けた信長は家康に対し処刑を命じたということがいわれている(信康事件)。
- 家康は築山御前を浜松城へ呼び出し、向かう途中の佐鳴湖畔の小藪で家康の家臣によって殺害された。その際使用した太刀をこの場所で洗ったとされ、池は赤く染まったといわれている。
- この事件で信康も二俣城に幽閉され切腹させられている。
- ただ信康事件については武田に内通していたという確たる証拠はなく、処刑の理由についてはいろいろな説が取りざたされはっきりとはしていない。処刑も織田信長主導ではなく家康の主導によるものともいわれ、事件はいまだ謎のままである。
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県浜松市中区富塚町 【付近の史跡】
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[ 北・約9km ] 三方ヶ原古戦場
[ 北・約9km ] 根洗松(三方ヶ原の戦い)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「浜松」「高塚」駅から約4Km 【バス】 ・遠鉄バス「医療センター」バス停 【マイカー】 ・東名高速「浜松IC」から約10Km |