江戸中期の医学者・山脇東洋が解剖した遺体の供養碑。
歴史・概略
- 山脇東洋(やまわき・とうよう)は丹波亀山の医者の家に生まれ、京都の医師・山脇玄修の養子となった。そして宝暦4年(1754年)、京都にある牢獄・六角獄舎内で、死刑囚の遺体を使って日本で初めてとなる人体解剖を行った。その遺体は誓願寺に葬られ、その後も山脇家で続けられた人体解剖による遺体14柱の供養碑が立てられている。
- このときの観察記録は宝暦9年(1759年)、『蔵志』として刊行され日本で最初の解剖書となった。このことは日本における近代医学の発展に大きく寄与したと言われる。
史跡情報
地図 |
---|
場所:京都府京都市中京区桜之町 |
主な施設 |
山脇東洋解剖供養碑・山脇東洋の墓 |
利用時間 |
- |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「三条」「京都市役所前」駅から約0.5Km ・京阪電車「三条」駅から約0.5Km ・阪急電車「河原町」駅から約0.5Km 【バス】 ・市バス「河原町三条」バス停 ・京阪バス「河原町三条」バス停 ・京都バス「河原町三条」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約7Km |