天正10年(1582年)、「本能寺の変」をきっかけに始まった「山崎の合戦」が起きた場所。
歴史・概略
- 主君織田信長に対して謀反を起こした明智光秀と、光秀謀反の報を聞きつけすぐさま中国から引き返してきた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が山崎の地で激突した。この場所は山崎の地を見下ろす天王山中腹にあり、合戦の際に秀吉の旗印である千成びょうたんを掲げた松の老木が立っていたとされる。
秀吉の旗印を見た味方の士気は多いに高まり、逆に光秀の軍は防戦一方となって戦いに敗れた。その後光秀は坂本城を目指したものの、逃げる途中落ち武者狩りに遭い討たれたとされる。 - その後、なんとか残っていた松も明治時代には枯れてしまって、今では6代目となっている。すぐ横には山崎合戦之地の石碑が置かれ、また展望台からは山崎の地が一望でき、光秀軍、秀吉軍が戦っていたであろう場所を望むことができる。
- 「山崎の合戦」前後の出来事
<天正10年>
6月2日 本能寺の変
6月6日 秀吉、備中高松城より引き上げ(中国大返し)(日付は諸説あり)
6月13日 山崎の合戦
6月13日 光秀、戦いに敗れ勝龍寺城へ帰城
6月13日 光秀、坂本城へ逃げる途中で絶命
6月14日 坂本城落城
6月15日 安土城本丸焼失
6月27日 清須会議
見どころ・おすすめ
- ここの展望台から合戦場所周辺を俯瞰して見ることができる。
- 山崎から長岡京にかけて周辺には「山崎の合戦」に関連する史跡が点在しているので、同時に回るのがおすすめ。1日で全部を回り切るのは結構大変かもしれないが、合戦のスケール感が掴める。
- 天王山山頂には、この戦いの後羽柴秀吉が築城した山崎城跡が残る。
- 天王山中腹には、「山崎の戦い」で秀吉が本陣とし幕末の「禁門の変」では長州藩が陣を張った宝積寺がある。旗立松を少し登ったところには「禁門の変」で亡くなった長州藩士らの「十七烈士の墓」がある。
関連動画
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史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 十七烈士の墓(禁門の変)
[ 南西・約0.4km ] 宝積寺(山崎の戦い・禁門の変)
[ 北西・約0.5km ] 山崎城跡(羽柴秀吉)
[ 東・約0.5km ] 大山崎の東黒門跡(山崎の合戦)
[ 東・約0.5km ] 山崎津跡
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主な施設 |
展望台 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「山崎」駅から約1.2Km ・阪急電車「大山崎」駅から約1.2Km |