摂津三宅城主であった三宅国村の碑。
歴史・概略
- 諸説はあるが、この付近には永正元年(1504年)から永禄5年(1562年)にかけて三宅城という城があり、三宅氏が代々城主を務めていた。
- 三宅国村はこの最後の城主で、細川氏や三好氏などに度々城を攻められ、明け渡しや奪還を繰り返したが、最後は三好長慶に敵対し逃亡(自刃とする説もある)、廃城となった。
- その後三宅城は跡形もなく無くなり、周辺には三宅城跡を表す石碑が点在するのみである。
見どころ・おすすめ
- この周辺には、三宅城跡碑が広範囲に立てられている。
施設データ
地図 |
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住所:大阪府茨木市丑寅 三宅出羽守国村公碑 周辺の史跡を探す |
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
・JR「千里丘」駅 ・阪急「摂津市」駅 ・大阪モノレール「沢良宜」駅 |
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