摂津三宅城主であった三宅国村の碑。
歴史・概略
- 諸説はあるが、この付近には永正元年(1504年)から永禄5年(1562年)にかけて三宅城(みやけじょう)という城があり、三宅氏が代々城主を務めていた。
- 三宅国村(みやけ・くにむら)はこの最後の城主で、細川氏や三好氏などに度々城を攻められ、明け渡しや奪還を繰り返した。最後は三好長慶に敵対し逃亡(自刃とする説もある)、廃城となった。
- その後三宅城は跡形もなく無くなり、周辺には三宅城跡を表す石碑が点在するのみである。
見どころ・おすすめ
- この周辺には、三宅城跡碑が広範囲に立てられている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府茨木市丑寅 【付近の史跡】
[ 南西・約0.3km ] 三宅城跡
[ 南西・約0.4km ] 三宅城跡
[ 南西・約0.5km ] 三宅城跡
[ 南西・約1km ] 流れの馬場跡(石山合戦)
[ 北東・約1.2km ] 和田惟政供養塔(東奈良史跡公園)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「千里丘」駅から約1Km ・阪急「南茨木」「摂津市」駅から約1.2Km ・大阪モノレール「沢良宜」駅から約1.2Km 【マイカー】 ・中国自動車道/名神自動車道「吹田IC」から約3Km ・近畿自動車道「摂津北IC」から約3Km |