岡山県岡山市にあった室町時代から江戸時代にかけての城。江戸時代の岡山藩藩庁。
黒塗りの見た目から烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)とも呼ばれる。
歴史・概略
- 室町時代初期、名和氏の流れをくむ上神高直(うえかみ・たかなお)によって築城されたものが最初とされる。
- 戦国時代後期には備前で勢力を伸ばした宇喜多直家の領国となり、子の宇喜多秀家に継承された。豊臣政権下で重用され約60万石を領する大名となった秀家は、これに相応しい城にするため約8年間に渡る大改修を行った。
- しかし、その後勃発した「関ケ原の戦い」において秀家は西軍の主力として戦って敗戦。その結果宇喜多家は改易、秀家は八丈島に流された。代わりに関ケ原で戦功を挙げた小早川秀秋が入ったが急死によって断絶、その後は池田氏に与えられた。
- 築城:正平年間(1346年~1369年)
- 廃城:明治6年(1873年)
- 築城主:上神高直?
- 構造:梯郭式・平山城
- 主な城主:宇喜多氏・小早川氏・池田氏
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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場所:岡山県岡山市北区丸の内 |
主な施設 |
天守閣・月見櫓・不明門・廊下門・六十一雁木上門 |
利用時間 |
9:00~17:30 |
定休日 |
年末 |
料金 |
大人300円・小中学生120円 |
交通 |
【電車】 ・JR「岡山」駅 ・岡山電気軌道「城下」「県庁通り」駅 【バス】 ・岡電バス、両備バス「県庁前」バス停 【マイカー】 ・山陽自動車道「岡山IC」から約8Km ・駐車場あり |