京都・聚楽第の武家地。上杉景勝と直江兼続の屋敷があったと考えられている場所。
歴史・概略
- 天正15年(1587年)、関白となった豊臣秀吉が政務をとる拠点として聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)を築城、周辺には武家屋敷が配置された。しかし、完成からわずか8年ほどで破却されてしまったため、ほとんど資料が残っておらず詳細は分かっていない。
- ただ、大名屋敷が並んでいたとされるエリアに残された地名などから、かつて大名屋敷があった可能性が推定されている。
- 上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)は越後の上杉謙信の跡を継いだ大名で、豊臣政権では五大老のひとり。そして、直江兼続(なおえ・かねつぐ)は景勝の側近である。
この石碑のある場所は長尾町や直家町と呼ばれ、上杉景勝の旧姓の長尾と直家=直江に因んでいるとされている。このことから、石碑の北側に景勝の屋敷が、南側には景勝の重臣・兼続の屋敷があったと考えられている。
見どころ・おすすめ
- 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在し石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
- 大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿るのも面白い。
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史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区椹木町通葭屋町東入る 【付近の史跡】
[ 北西・約0.1km ] 平安京創始待賢御門跡
[ 南西・約0.2km ] 京都所司代跡
[ 南東・約0.2km ] 高陽院邸跡
[ 南西・約0.2km ] 所司代屋敷址(京都)
[ 東・約0.3km ] 高陽院邸跡
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.8Km 【バス】 ・市バス「堀川丸太町」「堀川下立売」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |