米沢城 | 場所と地図 – 歴史のあと

米沢城

米沢城 城跡
米沢城
ジャンル:城跡/博物館
史跡年代:鎌倉時代 ー 幕末維新

山形県米沢市にあった城。
江戸時代の米沢藩藩庁で上杉氏の居城として知られる。

歴史・概略

暦仁元年(1238年)、大江時広(長井時広)が地頭として赴任した際に築城したとされるが、確かなことは不明。

室町時代には伊達氏の支配下となって、伊達政宗もここで誕生した。
その後、時代が豊臣政権に代わると蒲生氏上杉景勝の重臣のひとり直江兼続(なおえ・かねつぐ)が城主を務めた。しかし、「関ケ原の戦い」において結果的に西軍側についた上杉氏は、会津120万石から米沢30万石へと大幅に減封され米沢城へと移って、以後明治に至るまで上杉氏の居城となった。

  • 築城:暦仁元年(1238年)?
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:長井時広?
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主:長井氏・伊達氏・蒲生氏・上杉氏
  • 暦仁元年(1238年)、長井時広が米沢城を築城。
  • 室町時代初期、伊達宗遠が米沢城を攻略。
  • 永禄10年(1567年)、米沢城内で伊達政宗が誕生。
  • 天正17年(1589年)、政宗が蘆名氏を破り黒川城(会津若松)へ本拠を移す。
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって伊達氏の会津領が没収され、再び米沢を本拠とする。
  • 天正19年(1591年)、政宗の一揆の扇動が露見し米沢は没収、蒲生氏郷に与えられた。
  • 慶長2年(1597年)、越後より会津に上杉景勝が移り、米沢城には直江兼続が入った。
  • 慶長5年(1600年)、徳川家康による上杉征伐が行われ、上杉領に兵が差し向けられる。その隙をついて石田三成徳川家康討伐の兵を挙げ、関ケ原において西軍が敗戦。これにより上杉氏は減封され、米沢城を居城とした。

史跡情報

地図
【場所】
山形県米沢市丸の内
【付近の史跡】
主な施設
上杉神社・春日神社・稽照殿(けいしょうでん)
利用時間
【稽照殿】
 9:00 ~ 16:00
定休日
【稽照殿】
 12月~3月(1月1日~3日、雪灯篭まつり期間は開館)
料金
【稽照殿】
 大人400円・高校大学生300円・小中学生200円
交通
【電車】
・JR「南米沢」駅から約1.6Km

【バス】
・山交バス「公園北口」「上杉神社前」バス停

【マイカー】
・東北中央自動車道「米沢中央IC」から約4Km
・駐車場あり
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