いまの大阪城南側一帯に存在した飛鳥時代の古代宮殿跡。
歴史・概略
- 現在の大阪城の南側、法円坂より奈良時代の遺物が出土し、その後の発掘調査で飛鳥時代と奈良時代に営まれた古代都市・難波宮(なにわのみや)の跡であると確認された。大極殿や朝堂院、回廊など宮の中心部分については現在難波宮跡公園となっており、発掘された遺跡は地下に保存されている。
- 飛鳥時代のものは、大化元年(645年)に孝徳天皇によって遷都された難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)で、前期難波宮と呼ぶ。
- 奈良時代のものは天平16年(744年)に聖武天皇によって遷都された都。前期難波宮と同じ中心軸上に作られており、こちらは後期難波宮と呼ぶ。
- 「前期難波宮朝堂院 南門跡(ぜんきなにわのみや ちょうどういん なんもんあと)」の案内板が立てられている場所は難波宮跡公園南側すぐ、前期難波宮の内裏や朝堂院の南側に設けられた南門があった場所にあたる。朝堂院は行政の中心的建物で東西対称に14棟(もしくは16棟)が整然と並べられていた。その朝堂院南側正面に設けられていたのが南門で、さらに100mほど南には朱雀門が確認されている。
見どころ・おすすめ
- 発掘された南門跡はすべて埋め戻されており、いま現在我々が直接目にできるものはない。
- 難波宮跡公園では建物跡や回廊などが復元展示されており、前期難波宮西方官衙跡に建てられている大阪歴史博物館では難波宮について詳しい展示がされている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市中央区谷町 【付近の史跡】
[ 北・約0.2km ] 難波宮跡公園
[ 東・約0.4km ] 越中井(細川忠興邸跡・ガラシャ最後の地)
[ 北東・約0.4km ] 難波宮内裏東方遺跡
[ 北東・約0.5km ] 難波宮跡東辺
[ 北西・約0.5km ] 法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙
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主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「谷町六丁目」駅より約0.7Km ・JR「森ノ宮」駅より約1.2Km |