難波宮内裏東方遺跡 | 場所と地図 – 歴史のあと

難波宮内裏東方遺跡

難波宮内裏東方遺跡 京跡・宮跡
難波宮内裏東方遺跡
ジャンル:京跡・宮跡
史跡年代:飛鳥時代
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大阪市中心部にあった古代宮城における役所跡。

歴史・概略

  • 昭和29年(1954年)より本格的な周辺の発掘調査が行われ、飛鳥時代奈良時代2つの時期の難波宮跡(なにわのみやあと)が発見された。飛鳥時代のものは前期難波宮、奈良時代のものは後期難波宮とそれぞれ呼ばれる。
  • その後、宮跡中心部から東に約200メートルのこの付近一帯からも前期難波宮のものとみられる柱跡、および回廊跡が発見され、高床式倉庫や望楼であったと推察されている。また、回廊が巡らされていることから、かなり重要な役所施設であったと考えられている。
  • 難波宮復元図

    難波宮復元図(大阪歴史博物館)・右の赤い部分が難波宮内裏東方遺跡


    難波宮内裏東方遺跡 遺構配置図

    難波宮内裏東方遺跡 遺構配置図(案内板より)

  • 前期難波宮は大化元年(645年)孝徳天皇によって遷都された都で、正式名称は難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)。その後朱鳥元年(686年)にかけて営まれた。
    有名な政治改革「大化の改新」が実施されたのもこの宮である。

見どころ・おすすめ

  • 案内板奥の駐車スペースに柱跡・回廊跡があり、発見された跡が分かりやすいよう地面にペンキで記されている。
  • 難波宮内裏東方遺跡柱跡

    難波宮内裏東方遺跡柱跡(アネックスパル法円坂横)

  • 周辺には宮跡が復元されている難波宮公園西方官衙跡(せいほうかんがあと)があり、西方官衙跡の上に建っている大阪歴史博物館では難波宮に関する展示がされているのでまとめて廻るのがおすすめ。
  • 大阪歴史博物館

    大阪歴史博物館(大阪府大阪市)

史跡情報

地図
【場所】
大阪府大阪市中央区法円坂
【付近の史跡】
[ 東・約0.1km ] 難波宮跡東辺
[ 西・約0.2km ] 難波宮跡公園
[ 南西・約0.4km ] 前期難波宮朝堂院南門跡
[ 北・約0.4km ] 石山本願寺推定地
主な施設
案内板・柱跡
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「谷町四丁目」駅から約0.5Km
・JR「森ノ宮」駅から約0.8Km
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