平安時代中期に在位した冷泉天皇の陵墓。
歴史・概略
- 冷泉天皇(れいぜいてんのう)。第63代天皇。憲平(のりひら)。
- 在位:康保4年(967年) ~ 安和2年(969年)
- 父:村上天皇 母:藤原安子(藤原師輔の娘)
- 御陵名:櫻本陵(さくらもとのみささぎ)
- 墳形:円丘
- 天暦4年(950年)、村上天皇の第二皇子として誕生。その後わずか2カ月にして立太子。これには母方の権力者藤原実頼・師輔兄弟の意向が強く働いたものとみられる。
- 康保4年(967年)、村上天皇崩御により18歳で即位。
- 安和2年(969年)、同母弟の円融天皇に20歳で譲位、太上天皇となる。これ以後しばらく冷泉系と円融系の両統迭立の時代が続く。
- 寛弘8年(1011年)、62歳で崩御。死因は赤痢との記録がある。
- 退位後に嵯峨天皇の離宮であった冷泉院を後院としたことから冷泉院と称されるようになり、冷泉天皇の名もこれに由来する。
- 冷泉天皇には気の病があり、場所をわきまえず大声で歌ったりするなど即位前より奇行が目立っていたという。そのことを理由に在位期間が極端に短かったとされているが、皇統を移したことを正当化するためだったのではないかとする説もある。
見どころ・おすすめ
- すぐ西側に火葬塚がある。
- 特に天皇陵自体なにがあるわけでもないので、哲学の道など観光地の中にあるのでついでに寄ればよいかと。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市左京区鹿ケ谷法然院町 【付近の史跡】
[ 北東・約0.6km ] 銀閣寺(足利義政東山殿)
[ 西・約0.7km ] 金戒光明寺
[ 西・約0.8km ] 陽成天皇 神楽岡東陵
[ 西・約0.8km ] 後一條天皇 菩提樹院陵
[ 南西・約0.9km ] 尊良親王墓
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主な施設 |
陵墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「蹴上」駅から約2Km 【バス】 ・市バス「法然院町」「錦林車庫前」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都東IC」から約7Km |