京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅跡、および里内裏跡。歴史・概略高陽院(かやのいん)は平安時代中期の関白・藤原頼通(ふじわら・よりみち/道長の長男)がおもな拠点とした屋敷である。ほかに「賀陽院」とも表記される。 ...
邸宅・住居跡肥前鹿島鍋島藩屋敷跡(京都)京都幕末維新江戸時代邸宅・住居跡 江戸時代、京都の街中に置かれた佐賀藩の支藩のひとつ鹿島藩屋敷跡。歴史・概略鹿島藩(かしまはん)は九州北部の肥前国を治めた佐賀藩にあった3つの支藩のひとつ(鹿島藩・蓮池藩・小城藩)。佐賀藩の鍋島家初代藩主であった鍋島勝茂の弟...
邸宅・住居跡佐賀鍋島藩屋敷跡(京都)京都江戸時代邸宅・住居跡 江戸時代、京都の街中に置かれた佐賀藩の屋敷跡。歴史・概略佐賀藩(さがはん)は九州北部の肥前国(現在の佐賀県・長崎県)にあった約35万石の外様藩。藩庁は佐賀城。他に肥前藩(ひぜんはん)や藩主の名をとって鍋島藩(なべしまはん)...
邸宅・住居跡細川忠興夫人(ガラシャ)隠棲地京都安土桃山時代邸宅・住居跡 細川忠興の正室・お玉(後の細川ガラシャ)が「本能寺の変」が起こったあとに隠棲した地。歴史・概略細川ガラシャは丹後国宮津城主、後の豊前国小倉藩藩主である細川忠興(ほそかわ・ただおき)の正室。明智光秀の三女で、名を玉・珠・玉子...
京跡・宮跡三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地京跡・宮跡京都古戦場平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。歴史・概略平安時代中期、ここには伊予守・藤原済家の邸宅があったとされる。その後、宮内卿・藤原家通や藤原...
寺社平等院(藤原道長別邸)京都寺社平安時代邸宅・住居跡 京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの仏教寺院。特に平安時代さながらの景観を見せる鳳凰堂は、10円玉やお札の図柄としても利用されるなど、京都を代表する観光スポットのひとつとなっている。歴史・概略 極楽浄土の思想を取り入れた庭園は浄土庭園...
邸宅・住居跡佐賀鍋島藩屋敷跡(京都)京都幕末維新江戸時代邸宅・住居跡 江戸時代幕末期の京都に置かれた佐賀藩屋敷跡。歴史・概略佐賀藩(さがはん)は九州北部、肥前の佐賀郡などを領した藩で、藩庁は佐賀城。江戸時代初期の藩主は龍造寺氏であったが、実質的には家臣の鍋島氏が実権を握っており、後に鍋島氏が...
邸宅・住居跡唐津小笠原藩邸跡京都幕末維新江戸時代邸宅・住居跡 江戸時代幕末期の京都に置かれていた唐津藩藩邸跡。歴史・概略唐津藩(からつはん)は九州の北西、肥前国唐津(現在の福岡県唐津市周辺)を領した藩で、藩庁は唐津城。唐津藩は豊臣期に秀吉配下の寺沢広高が入って以降、徳川時代...
邸宅・住居跡応仁の乱洛中合戦勃発地・聚楽城 加藤清正邸・源頼光 一条邸・福岡藩邸・近衛邸跡京都古戦場安土桃山時代室町時代平安時代江戸時代邸宅・住居跡 豊臣秀吉が天下を掌握した当時、京都に築いた聚楽第において加藤清正屋敷があったとされる場所。 この他にもいろんな時代の屋敷跡や戦跡として記録されている。歴史・概略碑文 「聚楽城 加藤清正邸跡伝承地」 「此付近 応仁の乱...
邸宅・住居跡新島旧邸京都明治時代以降邸宅・住居跡 同志社英学校創立の地、および同志社を創立した新島襄の邸宅。歴史・概略新島襄(にいじま・じょう)。上州安中藩士の家に生まれ、渡航が禁止されていた幕末に密かにアメリカへと渡りアメリカで教育を受けた。明治になって帰国、京都で同志...
邸宅・住居跡明治天皇行幸所木戸邸京都明治時代以降邸宅・住居跡 京都府京都市にある明治の元勲・木戸孝允(きど・たかよし)の屋敷跡。歴史・概略木戸は明治初期、明治政府の中心人物として活躍した政治家で西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑のひとりに数えられる。 元は長州藩の武士で幕末の頃...
京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および御所跡。歴史・概略高陽院:かやのいん 平安時代初期、この場所には桓武天皇の皇子・賀陽親王(かやしんのう)の邸宅があったとされる。 平安時代中期、関白・藤原頼通(ふじ...
京跡・宮跡大炊御門万里小路殿址京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけて使われた公卿の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、但馬守・源高房がこの場所で邸宅を営む。屋敷が大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)・万里小路(までのこうじ)・冷泉小路(れいぜいこうじ)...
邸宅・住居跡花山院邸跡(京都御苑)京跡・宮跡京都安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代江戸時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から明治に至るまで存在した藤原氏の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。 その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮...
京跡・宮跡二條富小路内裏址(建武の新政 の地)京跡・宮跡京都室町時代邸宅・住居跡鎌倉時代 京都にあった鎌倉時代の公家の邸宅跡、および内裏跡。歴史・概略鎌倉時代中期、藤原氏の一族である西園寺実氏(さいおんじ・さねうじ)が邸宅(冷泉富小路殿)を置いたことに始まる。実氏は幕府とも密接な関係にあった実力者で、後嵯峨天皇...
京跡・宮跡一条院跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡 平安時代中期の邸宅跡、御所跡。歴史・概略一条院は大内裏北東に隣接した邸宅で、東西2町(今の堀川通あたりまで)を占めていた。この案内の東側に邸宅、西側には大内裏が広がっていた。 平安時代中期の一条天皇のとき大内裏が焼失し...
邸宅・住居跡橋本左内寓居跡京都幕末維新邸宅・住居跡 江戸時代末期の思想家・橋本左内の寓居(福井藩邸)跡。歴史・概略橋本左内(はしもと・さない)は福井の医者の家に生まれ、大坂にある緒方洪庵の適塾で医学を学んだ。その後、福井藩主の松平春嶽に見いだされ、側近として政治に関わるよう...
邸宅・住居跡茶屋四郎次郎屋敷跡京都江戸時代邸宅・住居跡 江戸時代の京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。歴史・概略茶屋家は、朱印船貿易や大堰川や高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家とともに「京の三長者」のひとつに数えられ、当主は代々茶屋四郎次郎(ちゃや・しろ...
邸宅・住居跡西八条第跡(平家一族の邸宅跡)京都平安時代邸宅・住居跡 平安時代末期、権力の座についた平家の頭領・平清盛が京に構えた邸宅跡。歴史・概略平氏政権が樹立するきっかけとなった「平治の乱(1159年)」の7年後にあたる仁安元年(1166年)、平清盛によって造営されたといわれる。六町の敷...
邸宅・住居跡縣井(京都御苑)京都幕末維新江戸時代邸宅・住居跡 京の名水のひとつ縣井と呼ばれる井戸跡。五摂家のひとつ一條邸跡。歴史・概略縣井(あがたい)は染殿井(そめどのい)・左女牛井(さめがい)とともに「京の三名水」とも呼ばれていたが、現在は枯れてしまっているとのこと。...