薩摩藩 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 28 Nov 2023 02:05:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 薩摩藩 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 蛤御門(京都御苑) https://rekishidou.com/hamagurigomon/ https://rekishidou.com/hamagurigomon/#comments Sun, 27 Mar 2016 11:10:23 +0000 http://rekishidou.com/?p=2857 京都御苑にある門。「禁門の変」で長州勢力と幕府勢力との戦闘が行われた場所。この門の名をとって「蛤御門の変」とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 蛤御門(はまぐりごもん)京都御所を守る外郭九門のうちのひとつ。正式には新在家御門だが、御所が火災にあった際に開かずの門であった門が開かれたため、火にあぶられて口を開く蛤になぞらえて蛤御門と呼ばれるようになったといわれる。
  • 文久3年8月18日(1863年9月30日)、朝廷の周囲から長州藩三条実美(さんじょう・さねとみ)ら長州藩寄りの公家が排除された(八月十八日の政変)。翌年、これは会津藩の策謀であるとして会津藩を排除するため長州藩が挙兵する。御所へと兵を進めた長州藩は元治元年7月19日(1864年8月20日)、遂に御所周辺で衝突した。
    長州藩は蛤御門、中立売門、下立売門、堺町御門を攻撃、しかし会津藩や薩摩藩などの反撃にあい、結局突破しきれず目的を果たすことはできなかった。

  • 凝華洞跡

    戦闘の際、京都守護職であった会津藩主・松平容保が指揮を執ったという凝華洞跡(京都府京都市)

  • この戦闘で長州藩邸などにも火がかけられ、その火は京都の町に燃え広がった。多大な被害を出したこの火災は、後に「どんどん焼け」と呼ばれた。この後、長州藩は朝敵となり、幕府による長州征伐が行われることとなった。
  • ちなみに、戦闘が起こった当時の門は、ここより少し東側の場所に90度南を向いて建てられていたが、明治に行われた整備事業によって現在の場所に移動した。柱には当時戦闘でついた弾痕が、いまだにはっきりと残っている。

見どころ・おすすめ

  • 柱にはっきりと残る弾の痕は必見。
  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

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幕末の京都「禁門の変」激戦地!弾痕が残る蛤御門
京都御所を守る門のひとつ蛤御門失地回復のため上洛した長州藩とそれを防ごうとする幕府勢力が激戦を繰り広げた地#京都御苑#禁門の変#幕末
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寺田屋 https://rekishidou.com/teradaya/ https://rekishidou.com/teradaya/#respond Thu, 25 Jul 2019 01:48:41 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=418 京都伏見にあった船宿。幕末の混乱期、薩摩藩同士の粛清が行われたり、坂本龍馬が襲撃を受けたりした寺田屋事件が起きた現場として知られる。

歴史・概略

  • 伏見は大阪と京都中心部を結ぶ物流の中継地点として栄え、周辺にはいくつかの船宿があった。寺田屋はそうした船宿のうちのひとつである。
  • 文久2年(1862年)、公武合体を推し進める島津久光側の薩摩藩士たちが、寺田屋に集まった過激な行動に出ようとする薩摩藩の尊皇派を粛清。「寺田屋騒動」とも呼ばれる。
  • 慶応2年(1866年)、幕府の役人が宿泊していた坂本龍馬を捕縛しようと襲撃、龍馬はピストルで応戦し役人数名を射殺して逃走した。「寺田屋遭難」とも呼ばれる。
  • 慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦い」により伏見周辺の建物が被害を受け、寺田屋も焼失。現在の建物は明治期に再建されたものである。

見どころ・おすすめ

  • 旅籠寺田屋-再建されたものと言われるが、レトロな雰囲気の建物は必見。
  • 寺田屋跡-維新当時の井戸や坂本龍馬像など。
  • 周辺には寺田屋事件寺田屋騒動鳥羽伏見の戦いなどの史跡が多数あるのでまとめて回るといい。

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鹿児島城 https://rekishidou.com/kagoshimajo/ https://rekishidou.com/kagoshimajo/#respond Thu, 15 Mar 2018 06:00:45 +0000 http://rekishidou.com/?p=4255 鹿児島県鹿児島市にあった城。江戸時代の薩摩藩藩庁。
鶴丸城とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 慶長6年(1601年)、後の薩摩藩初代藩主・島津家久により城山(上之山城)の麓に築城を開始。この頃「関ケ原の戦い」で島津義弘が西軍に味方したため徳川氏との和平交渉を行っていた時期にあたり、後に島津氏は許されている。
  • 文久3年(1863年)、薩英戦争によりイギリス軍の攻撃を受け城内や城下に被害。
  • 明治10年(1877年)、西南戦争により西郷隆盛ら不平士族と官軍が衝突。
  • 築城:慶長6年(1601年)
  • 廃城:明治5年(1872年)
  • 築城主:島津家久(忠恒)
  • 構造:平山城
  • 主な城主:島津氏
  • 日本100名城
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小松帯刀寓居・御花畑屋敷跡・薩長同盟所縁地 https://rekishidou.com/ohanabatakeyashiki/ https://rekishidou.com/ohanabatakeyashiki/#respond Thu, 31 May 2018 02:38:45 +0000 http://rekishidou.com/?p=4038 幕末の薩摩藩家老であった小松帯刀の寓居跡。「薩長同盟締結の地」とされる。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • この周辺は「応仁の乱」の関連史跡が多いので、それらを回るついでにでも行けばよいかと。

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薩摩島津伏見屋敷跡 https://rekishidou.com/satsumahantei-3/ https://rekishidou.com/satsumahantei-3/#respond Sat, 27 Jul 2019 01:19:18 +0000 http://rekishidou.com/?p=5516 江戸時代、薩摩藩が京都伏見に置いた藩邸跡。

歴史・概略

  • 碑文「江戸時代 薩摩島津伏見屋敷跡」「坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難之地」「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」
  • 伏見は京と大阪、果ては海とを結ぶ物流の中継地点として大いに賑わっており、周辺には船宿が立ち並ぶなどしていた。諸藩は伏見を重要視し、薩摩藩以外にも数多くの藩が藩邸を置いている。
  • 嘉永6年(1853年)、薩摩藩主島津斉彬の養女・篤姫(後の天璋院)が、第13代将軍・徳川家定への輿入れのため、鹿児島から江戸へと向かう途中1週間ほど立ち寄っている。
  • 慶応2年1月23日(1866年3月9日)、伏見の船宿寺田屋にいた坂本龍馬を伏見奉行所が襲撃したいわゆる寺田屋事件の際に、市中に潜んでいた龍馬を救出し藩邸に匿って治療を受けさせている。

見どころ・おすすめ

  • ここにあるのは石碑のみ。
  • 伏見周辺は「鳥羽・伏見の戦い」に関連する史跡が点在しているので、合わせて回るといい。

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薩摩藩邸之址(京都) https://rekishidou.com/satsumahantei-2/ https://rekishidou.com/satsumahantei-2/#respond Mon, 13 Mar 2017 04:33:01 +0000 http://rekishidou.com/?p=3226 江戸時代、島津氏が藩主を務める薩摩藩が京都に置いた藩邸跡。

歴史・概略

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鷹司邸跡(京都御苑) https://rekishidou.com/takatsukasatei/ https://rekishidou.com/takatsukasatei/#respond Mon, 28 Mar 2016 01:20:58 +0000 http://rekishidou.com/?p=2813 禁門の変」の舞台となった鷹司邸があった場所。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。
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御香宮神社 https://rekishidou.com/gokonomiya/ https://rekishidou.com/gokonomiya/#respond Thu, 01 Aug 2019 01:10:59 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=412 京都市伏見にある神社。「鳥羽・伏見の戦い」における戦地のひとつ。

歴史・概略

  • 元々の名称は御諸神社。創建年代は不明。
  • 貞観4年(862年)、境内より水が湧きだし、水を飲むと病が治ったということを聞いた清和天皇から「御香宮」の名を賜る。この水は御香水として今でも親しまれ、名水百選にも選ばれている。
  • 豊臣秀吉による伏見城築城の際、城の鬼門の守りとして城内に遷す。
  • 慶長10年(1605年)、徳川家康が御香宮をもとの位置に戻す。この時の造営の際、表門に伏見城大手門が移築されたと伝わる。
  • 慶応4年1月3日(1868年1月27日)、「鳥羽伏見の戦い」勃発。
    鳥羽街道で戦闘が始まると、砲声を聞いた伏見でも戦闘が開始された。御香宮に部隊を展開していた薩摩藩は、会津藩新選組など旧幕府軍が駐屯していた伏見奉行所に対して砲撃を開始、そして奉行所に保管していた弾薬に火がついて炎上した。この戦いで、旧幕府軍は多大な被害を受け敗走した。
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薩摩藩邸跡(京都) https://rekishidou.com/satsumahantei/ https://rekishidou.com/satsumahantei/#respond Tue, 08 Mar 2016 10:24:57 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=329 江戸時代後期に御所の北側に設けた薩摩藩邸跡(現・同志社大学)。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 石碑のみで薩摩藩邸を思わせるものは何もない。京都御苑から近いので散策ついでにでも寄ってみればいいと思う。

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薩摩藩蔵屋敷跡(大坂) https://rekishidou.com/satsumakurayashiki/ https://rekishidou.com/satsumakurayashiki/#respond Sat, 20 Jul 2019 00:05:04 +0000 https://rekishidou.com/?p=7847 江戸時代、大阪に置かれた薩摩藩蔵屋敷の跡。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

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