旧幕府軍と新政府軍が戦った「鳥羽・伏見の戦い」における激戦地。
歴史・概略
- 慶応3年10月14日(1867年11月9日)、将軍徳川慶喜が倒幕の動きを牽制するため大政奉還を行ったものの、その後薩摩藩による実質的なクーデター「王政復古の大号令」が起こるなど、反徳川の流れは止められず一触即発の状態となった。
- 慶応4年1月2日(1868年1月26日)、慶喜はこの状況を変えようと薩摩藩討滅を朝廷へ訴えるため、京都への進軍を開始した。
- 慶応4年1月3日(1868年1月27日)夕刻、薩摩藩兵と旧幕府軍が鳥羽街道で接触し、最初の戦闘が始まった。一方、伏見でこの砲声を聞いた薩摩藩は、御香宮より旧幕府軍の本陣が置かれた伏見奉行所を攻撃し、伏見でも戦闘が始まった。
- この戦闘により伏見奉行所は炎上、旧幕府軍が町を放火しながら撤退したため、伏見の町は多大な被害を受けた。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区南浜町 【付近の史跡】
[ 東・約0.1km ] 寺田屋
[ 南・約0.1km ] 伏見長州藩邸跡
[ 北・約0.1km ] 電気鉄道事業発祥の地(下油掛停車場跡)
[ 東・約0.2km ] 伏見土佐藩邸跡
[ 東・約0.3km ] 「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「中書島」駅から約0.4Km ・近鉄電車「桃山御陵前」駅から約0.9Km ・JR「桃山」駅から約1.3Km 【バス】 ・市バス「京橋」「中書島」バス停 ・京阪バス「京橋」「中書島」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約4Km |