江戸時代、長州藩が京都伏見に置いた藩邸跡。
歴史・概略
- 伏見の町は、豊臣秀吉が築城した伏見城の城下町が形成されて以降、京都の中心部と大阪とを結ぶ物流の要衝として栄え、多くの藩がここに藩邸を置いて拠点とした。
そして、ここにある長州藩邸は江戸時代中期頃、移転してきたものと考えられている。 - 元治元年7月19日(1864年8月20日)、「八月十八日の政変」によって京都から追放されていた長州藩が、政局への復帰を目指して巻き返しを図った事件「禁門の変」が起こる。
このとき、家老の福原越後は当藩邸から御所へ向け進軍した。長州藩は御所で会津藩や桑名藩、薩摩藩などと交戦し撤退、福原は再び藩邸へと戻った。その後幕府側は藩邸を攻撃、藩邸は焼失した。 - この結果、幕府は長州藩を朝敵と見做し第一次長州征討を決行、それにより福原ら家老の切腹、他は追放などの処罰が下った。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区表町 【付近の史跡】
[ 北・約0.1km ] 伏見口の戦い激戦地跡
[ 北東・約0.1km ] 寺田屋
[ 北・約0.2km ] 電気鉄道事業発祥の地(下油掛停車場跡)
[ 東・約0.3km ] 伏見土佐藩邸跡
[ 北東・約0.4km ] 「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪「中書島」「伏見桃山」駅 ・近鉄「桃山御陵前」駅 ・JR「桃山」駅 【バス】 ・市バス「京橋」「中書島」バス停 ・京阪バス「京橋」「中書島」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約4Km |