江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜が、明治維新後に過ごした屋敷跡。
歴史・概略
- 徳川慶喜は、大政奉還の後に勃発した戊辰戦争の責任を取って、駿府にある「宝台院」で謹慎生活を送った。しかし翌明治2年には謹慎が解かれ、すぐ近くにあった代官屋敷を改修して移り住んだ。
- その後、この地でおよそ20年を過ごした慶喜だったが、東海道線の開通に伴ってこの地を離れ、残された屋敷は料亭として開業した。ただ残された建物は火災で焼失しており、庭園に面影を残すのみとなっている。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県静岡市葵区紺屋町 【付近の史跡】
[ 南西・約0.3km ] 徳川慶喜謹慎之地(宝台院)
[ 北・約0.3km ] 西郷・山岡会見の地
[ 北西・約0.6km ] わさび漬発祥の地
[ 北西・約0.8km ] 駿府城公園
[ 南東・約3km ] 登呂遺跡
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主な施設 |
庭園・「徳川慶喜公屋敷跡」碑 |
利用時間 |
要確認 |
定休日 |
要確認 |
料金 |
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交通 |
【電車】 ・JR「静岡」駅から約0.3Km ・静岡鉄道「新静岡」駅から約0.5Km 【マイカー】 ・東名高速道路「静岡IC」から約4Km |