江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜が江戸城開城後に謹慎した寺院。
歴史・概略
- 永正4年(1507年)、龍泉寺を開基。
- 天正17年(1589年)、徳川家康の側室・西郷の局(江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の生母)の菩提寺となる。後に西郷の局の戒名「宝台院殿一品大夫人松誉定樹大禅定尼」に合わせ、寺名を宝台院(ほうだいいん)に改めた。
- 大政奉還の後に「鳥羽伏見の戦い」が勃発したことで、元将軍・徳川慶喜は江戸へと退却した。慶喜は新政府軍との衝突を避け、江戸を明け渡すことを決意した。そして慶喜は自ら寛永寺で謹慎、後に水戸の弘道館へと移った。新政府は徳川家の駿府への移封を決定し、その際に慶喜も駿府へと移り「宝台院」で謹慎生活を送った。
- 翌明治2年、慶喜の謹慎が解かれ、慶喜はすぐ近くの元代官屋敷を改修し移り住んだ。
見どころ・おすすめ
- この少し東に行った場所に慶喜が謹慎解除後に移り住んだ徳川慶喜公屋敷跡がある。
史跡情報
地図 |
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【場所】
静岡県静岡市葵区常磐町 |
主な施設 |
西郷の局の墓・「徳川慶喜公謹慎之地」碑 |
利用時間 |
ー |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「静岡」駅から約0.5Km ・静岡鉄道「新静岡」駅から約0.8Km 【バス】 ・しずてつジャストライン「宝台院」「西門町あざれあ前」バス停 【マイカー】 ・東名高速「静岡IC」から約4Km |