岡山県高梁市にあった城。江戸時代の備中松山藩藩庁。
ほかに高梁城(たかはしじょう)とも呼ばれる。現存する12天守のうちのひとつで雲海に浮かぶ城として知られる。
歴史・概略
- 仁治元年(1240年)、備中有漢郷の地頭・秋庭三郎重信が大松山に築城。
- 元弘年間(1331年頃)、高橋宗康によって小松山に城を拡張。
- 天正3年(1575年)、毛利氏と織田氏の争いとなる中、毛利方の小早川隆景の攻撃を受け落城。
- 慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」の後、徳川幕府が城番を置く。
- 元和3年(1617年)、池田長幸が入城。
- 寛永19年(1642年)、水谷勝隆が入城。
- 元禄6年(1693年)、水谷家が断絶し赤穂藩家老・大石内蔵助が城番となる。
- 元禄8年(1695年)、安藤重博が入城。
- 正徳元年(1711年)、石川総慶が入城。
- 延享元年(1744年)、板倉勝澄が入城。以降明治に至るまで板倉氏が藩主となる。
- 築城:仁治元年(1240年)
- 廃城:明治7年(1874年)
- 築城主:秋庭三郎重信
- 構造:山城・連郭式
- 主な城主:三村氏、水谷氏、板倉氏
- 日本100名城
- 現存天守
史跡情報
地図 |
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【場所】 岡山県高梁市内山下 【付近の史跡】
[ 東・約16km ] 鬼ノ城
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主な施設 |
天守・櫓・塀・石垣・土塁 |
利用時間 |
【4月~9月】 9:00~17:30 【10月~3月】 9:00~16:30 |
定休日 |
年末年始 |
料金 |
大人300円・小中学生150円 |
交通 |
【電車】 ・JR「備中高梁」駅からタクシー 【マイカー】 ・岡山自動車道「賀陽IC」から約11Km ・駐車場あり |