城跡槇島城跡京都古戦場城跡安土桃山時代室町時代鎌倉時代 京都府宇治市にあった城。ほかに槙島城とも表記する。 室町幕府滅亡のきっかけとなった槇島城の戦いが行われた地。歴史・概略琵琶湖から流れ出る宇治川沿いに造られた城。かつてこのあたり一帯には巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれる湖が存...
京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅跡、および里内裏跡。歴史・概略高陽院(かやのいん)は平安時代中期の関白・藤原頼通(ふじわら・よりみち/道長の長男)がおもな拠点とした屋敷である。ほかに「賀陽院」とも表記される。 ...
その他遺跡瀬田の唐橋その他遺跡古戦場奈良時代安土桃山時代室町時代幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代滋賀鎌倉時代飛鳥時代 琵琶湖の南を流れ出る瀬田川に架かる橋。歴史・概略瀬田の唐橋(せたのからはし)は、現在の滋賀県大津市にある橋で、ほかに勢多大橋や勢多唐橋などとも表される。 古代より架かる瀬田の唐橋は、京都の宇治川に架かっていた宇治橋や、...
寺社金峯山寺(南朝行宮跡)京跡・宮跡古戦場奈良奈良時代安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代鎌倉時代飛鳥時代 奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗(修験道)の本山。京都を脱出した後醍醐天皇が南朝を開いた場所として知られる。歴史・概略金峯山寺(きんぷせんじ)は役小角(えんのおづぬ)によって開かれた修験道の本山である。周辺の山や麓...
寺社園城寺(三井寺)古戦場安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代滋賀鎌倉時代飛鳥時代 滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。正式名称は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」で一般的には三井寺(みいでら)として知られる。7世紀後半に今の滋賀県大津市付近を本貫とする大友氏によって建立され、平安時代の比叡山の僧・円珍に...
京跡・宮跡三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地京跡・宮跡京都古戦場平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。歴史・概略平安時代中期、ここには伊予守・藤原済家の邸宅があったとされる。その後、宮内卿・藤原家通や藤原...
寺社乙訓寺(早良親王幽閉の地)京都奈良時代安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代鎌倉時代飛鳥時代 京都府長岡京市にある弘法大師ゆかりの真言宗寺院。聖徳太子が建立したと伝わる古刹。歴史・概略大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)は飛鳥時代、推古天皇の勅命によって聖徳太子が建立したと伝わる。だが、当時の痕跡はなく発掘調査な...
墓・慰霊碑平重衡塚京都墓・慰霊碑鎌倉時代 源平合戦で平家軍を率いた武将のひとり平重衡の墓。歴史・概略平重衡(たいら・しげひら)は平氏政権を作り上げた平清盛の五男で、母は宗盛や知盛、徳子(建礼門院)らと同じ平時子(二位尼)。 治承3年(1179年)に左近衛権中将と...
京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および御所跡。歴史・概略高陽院:かやのいん 平安時代初期、この場所には桓武天皇の皇子・賀陽親王(かやしんのう)の邸宅があったとされる。 平安時代中期、関白・藤原頼通(ふじ...
京跡・宮跡大炊御門万里小路殿址京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけて使われた公卿の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、但馬守・源高房がこの場所で邸宅を営む。屋敷が大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)・万里小路(までのこうじ)・冷泉小路(れいぜいこうじ)...
寺社鶴岡八幡宮事件古戦場安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代神奈川鎌倉時代 神奈川県鎌倉市にある平安時代に創建された神社。歴史・概略大分県の宇佐神宮・京都府の石清水八幡宮とともに三大八幡宮と呼ばれる(鶴岡八幡宮の代わりに福岡県の筥崎宮とする場合もある)。 康平6年(1063年)、「前九年の役」...
邸宅・住居跡花山院邸跡(京都御苑)京跡・宮跡京都安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代江戸時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から明治に至るまで存在した藤原氏の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。 その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮...
京跡・宮跡二條富小路内裏址(建武の新政 の地)京跡・宮跡京都室町時代邸宅・住居跡鎌倉時代 京都にあった鎌倉時代の公家の邸宅跡、および内裏跡。歴史・概略鎌倉時代中期、藤原氏の一族である西園寺実氏(さいおんじ・さねうじ)が邸宅(冷泉富小路殿)を置いたことに始まる。実氏は幕府とも密接な関係にあった実力者で、後嵯峨天皇...
墓・慰霊碑後白河天皇 法住寺陵京都墓・慰霊碑鎌倉時代 平安時代末期に在位した後白河天皇の陵墓。歴史・概略鳥羽上皇の第四皇子として生まれ、皇位継承とは無縁な立場で歌に踊りに明け暮れたといわれている。しかし弟の近衛天皇が急死すると、後白河天皇の子で美福門院(鳥羽天皇皇后)の養子と...
邸宅・住居跡吉田泉殿之跡京都邸宅・住居跡鎌倉時代 鎌倉時代の公卿・西園寺公経の屋敷跡。歴史・概略西園寺公経(さいおんじ・きんつね)は、藤原氏の一族で平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。鎌倉幕府との関係は良好で、孫を将軍として鎌倉に送るなどし、幕府の力を背景に太政大...
寺社金戒光明寺京都安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代鎌倉時代 京都府京都市にある浄土宗寺院。通称「黒谷(くろだに)」と呼ばれている。 境内には多くの伽藍が立ち並んでおり、時代劇やドラマなど数多くの撮影に使われている。歴史・概略承安5年(1175年)、法然がこの地に草庵を結んだことに...
城跡芥川城跡城跡大阪室町時代鎌倉時代 大阪府高槻市にあった城。戦国最初の天下人・三好長慶が居城としていた芥川城(芥川山城)とは別の城である。歴史・概略いつ築城され、いつ廃城となったかは不明のままであるが、鎌倉時代に幕府の御家人となった芥川氏が築城したと考えられ...
寺社法勝寺金堂基壇跡京都室町時代寺社平安時代鎌倉時代 平安時代後期に白河天皇が建立した法勝寺の伽藍跡。歴史・概略法勝寺(ほっしょうじ)は、承保3年(1076年)に白河天皇の御願によって建立された寺院で、後に六勝寺と呼ばれる複数の寺院の中で最大の規模であった。中でも八角九重塔は...
邸宅・住居跡藤原定家京極邸址京都邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・藤原定家の屋敷跡。歴史・概略藤原定家(ふじわら・ていか/さだいえ)は藤原北家の流れをくむ御子左家の一族で、御堂関白と呼ばれた藤原道長の5代後の子孫にあたる。歌人として才能を発揮し...
京跡・宮跡持明院仙洞御所跡京跡・宮跡京都室町時代平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。歴史・概略持明院(じみょういん)は平安時代後期、陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた藤原基頼(ふじわら・もとより)が、屋敷を構えたことに始まる...