島根県安来市にあった城。
戦国時代、山陰の一大勢力であった尼子氏が本拠としていたことで知られる。
歴史・概略
築城は平安時代末期の保元、平治の頃と伝わるが定かではない。戦国時代になると、京極氏の守護代であった尼子氏が城を奪って戦国大名として勢力を拡大していったが、中国の覇者となった毛利氏に敗れた。
「関ケ原の戦い」以降は堀尾氏の居城となったが、慶長16年(1611年)、不便な山城から新たに築城した松江城に移り廃城となった。
- 築城:文治元年(1185年)頃?
- 廃城:慶長16年(1611年)
- 築城主:平景清? 佐々木高綱? 佐々木義清?
- 構造:複郭式・山城
- 主な城主:尼子氏・吉川氏・堀尾氏
- 日本100名城
- 文治元年(1185年)頃、平景清もしくは佐々木高綱、佐々木義清により築城か。
- 承久3年(1221年)、出雲守護となった佐々木義清が入城。
- 興国4年/康永2年(1343年)、佐々木高氏(道誉)が出雲守護となる。
- 正平19年/貞治3年(1364年)、山名時氏が出雲守護となる。
- 元中8年/明徳2年(1391年)、京極氏が出雲守護となる。
- 文明18年(1486年)、出雲守護代であった尼子経久が城を奪取。
- 永禄9年(1566年) 、毛利氏の攻撃を受け落城。
- 永禄12年(1569年)、山中鹿介ら尼子氏旧臣が尼子氏再興のため月山富田城を攻撃。
- 慶長5年(1600年)、堀尾吉晴が入城。
- 慶長16年(1611年)、堀尾忠晴が居城を松江城に移し廃城。
史跡情報
地図 |
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【場所】
島根県安来市広瀬町富田 |
主な施設 |
本丸跡・二の丸跡・三の丸跡・袖ヶ平跡・鉢屋ヶ成跡・七曲り・山中御殿平跡・大手門跡・花ノ壇跡・奥書院平跡・太鼓壇跡・千畳平跡・馬場跡・能楽平跡・御茶庫台跡・台東成跡・搦手門跡・菅谷虎門跡 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【バス】 ・安来市コミュニティバス「月山入口」バス停 【マイカー】 ・山陰自動車道「安来IC」から約10Km ・駐車場あり |