大阪府岸和田市にあった城。江戸時代の岸和田藩藩庁。
歴史・概略
- 応永年間(1394年~1428年)、信濃泰義により築城か。他にも楠木正成の甥であった和田高家が築いたとの伝承があるが信憑性は低いとされている。
- 応永15年(1408年)、細川氏が城主となる。
- 天文18年(1549年)、細川晴元と三好長慶との間で「江口の戦い」が勃発。細川家の重臣であった松浦氏は三好氏に付き城主となる。その後三好長慶の実弟・十河一存の子である信輝が松浦氏を継いでいる。
- 永禄3年(1560年)、三好実休が城を改修。
- 天正3年(1575年)、松浦信輝が家臣に討たれる。
- 天正10年(1582年)、蜂屋頼隆が城主となる。
- 天正11年(1583年)、中村一氏が城主となる。
- 天正12年(1584年)、「小牧・長久手の戦い」に動きを合わせた根来衆や雑賀衆などの反秀吉勢力と交戦。
- 天正13年(1585年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)による紀州征伐。小出秀政が城主となる。
- 元和5年(1619年)、松平康重(松井松平家)が城主となる。
- 寛永17年(1640年)、岡部宣勝が城主となる。以降岡部氏が藩主のまま明治に至る。
「江口の戦い」が行われた江口城跡(大隅神社)(大阪府大阪市)
- 読み:きしわだじょう
- 築城:応永年間(1394年~1428年)
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:信濃泰義?
- 構造:輪郭式・平城
- 主な城主:細川氏・三好氏・小出氏・松井松平氏・岡部氏
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府岸和田市岸城町 【付近の史跡】
[ 北東・約16km ] 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
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主な施設 |
石垣・堀・復興天守・復興櫓・復興門 |
利用時間 |
10:00 ~ 17:00 |
定休日 |
月曜日(祝休日の場合、またはお城まつり期間中(4月1日~15日)は開場)・年末年始・ほか |
料金 |
大人300円・中学生以下無料 |
交通 |
【電車】 ・南海電車「蛸地蔵」駅 ・JR「東岸和田」駅 【マイカー】 ・阪神高速道路「岸和田南IC」 ・駐車場あり |