平安時代後期、平家打倒の謀議が行われた鹿ケ谷山荘があったとされる場所。
歴史・概略
- 平清盛を中心に平氏一門が隆盛を極めた平安時代末期、後白河法皇の近臣たち藤原成親、西光、成経、俊寛らが鹿ケ谷にある静賢の山荘に集まり平氏打倒のための密談を行った(鹿ケ谷の陰謀、鹿ケ谷事件)。しかし、この計画は多田行綱の密告によって発覚し、計画に加わった者たちが平氏によって次々と捕らえられた。
- 俊寛も捕らえられ、薩摩の喜界ヶ島に流された。その後も許されることはなく、島で自ら食を断ち最期を迎えた。
- この陰謀は事実ではなく、反平家の粛清を目的として平清盛が画策したとの説もある。
- 鹿ケ谷山荘跡は、碑を建てた西垣精之助氏が夢に見たということを根拠にしており、残念ながらこの場所で建物に繋がる発見がなされたというものではない。
見どころ・おすすめ
- かなりの山奥。ほぼほぼ登山。
- そのまま山頂まで登れば如意ヶ嶽(大文字山)山頂に出られる。京都の街の眺めがいいのでおすすめ。山頂一帯は如意ヶ嶽城跡となっているのでそっちの散策と合わせて行くといいかも。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市左京区鹿ヶ谷大黒谷町 【付近の史跡】
[ 東・約0.5km ] 如意ヶ嶽城跡
[ 西・約1km ] 冷泉天皇 櫻本陵
[ 北・約1km ] 中尾城跡
[ 北西・約1.1km ] 銀閣寺(足利義政東山殿)
[ 西・約1.3km ] 尊良親王墓
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「蹴上」駅 【バス】 ・市バス「上宮ノ前町」バス停 |