平安時代末期から鎌倉時代初期の貴族・藤原定家の邸宅跡。
貴族というより歌人としての名声が高く、特に小倉百人一首の選者として広く知られている。
歴史・概略
- 【藤原定家】ふじわら・さだいえ/ふじわら・ていか
- 【生没年】応保2年(1162年)-仁治2年(1241年)
- 【官位】正二位・権中納言
- 【素性】藤原北家御子左流 藤原俊成の二男。御子左家(みこひだりけ)は藤原道長の六男 藤原長家を祖とする一族で、後に二条家や冷泉家、京極家などに分かれた。定家は道長から数えて5代目の子孫にあたる。
- 【人物】貴族で歌人でもある俊成の子として生まれ、才能を開花。多くの歌を残し、後に歌聖と称えられた。新古今和歌集、新勅撰和歌集、小倉百人一首の編纂に携わったほかにも、源氏物語や土佐日記などの古典の研究にも成果を残している。後鳥羽上皇や源実朝などとも歌を通じて親交を結んだという。
- 碑文「此付近 藤原定家 一条京極第跡」
- 一条京極第(いちじょうきょうごくてい)は定家が晩年に暮らした屋敷で承久年間(1219年~1222年)以降(58歳ごろか)に移り住み、亡くなるまでの20年ほどを過ごした。屋敷の名から京極殿や京極中納言などと称され、定家没後は嫡男の為家に伝領された。
- 場所は平安京東京極大路と一条通りの北東で、現在の京都御苑東側、京極小学校あたりとされており石碑が立てられている。ただ、この場所からはっきりとした屋敷の痕跡が見つかったというわけではなく、定家が書き残した日記『明月記』などの記録からあくまで推定されたもの。ちなみに京極小学校はノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の出身校でもある。
見どころ・おすすめ
- ここには石碑があるのみで特に何もない。
- 京都御苑散策のついでにでも寄ればよいと思うが、周辺には道長の土御門第跡や道長が建立した法成寺跡、源氏物語を執筆したという紫式部邸宅跡(蘆山寺)などがある。
- 定家の墓所はこの場所から1キロほど北西にいった臨済宗大本山の相国寺にある。
- ここから南に少し行った夷川通あたりにも京極邸跡碑が立てられているが、これは記録の解釈の違いによるものらしい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区寺町通今出川下る染殿町 【付近の史跡】
[ 東・約0km ] 大久保利通旧邸
[ 南西・約0.2km ] 染殿井(京都御苑・藤原良房染殿第跡)
[ 南・約0.3km ] 紫式部邸宅址(廬山寺・源氏物語執筆地)
[ 西・約0.3km ] 中山邸跡(京都御苑・明治天皇生誕地)
[ 南東・約0.4km ] 御土居(廬山寺・豊臣秀吉)
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主な施設 |
石碑・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「出町柳」駅から約0.6Km ・叡山電鉄「出町柳」駅から約0.7Km ・地下鉄「今出川」駅から約1Km 【バス】 ・市バス/京都バス「河原町今出川」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都東IC」から約9Km |