大阪府高槻市にあった戦国時代の山城。
歴史・概略
- 永生年間(1504年~1521年)頃、室町幕府管領・細川高国配下の能勢(のせ)氏による築城がはじまりとされる。本格的な山城になったのは、高国との抗争に勝利した細川晴元(ほそかわ・はるもと)が本拠としていた時代で、その後晴元は配下の三好長慶(みよし・ながよし)によって京を追われた。芥川山城は三好方の城となって、天文22年(1553年)には長慶の本拠となった。
- 永禄3年(1560年)、長慶は芥川山城を嫡男の義興(よしおき)に譲り、河内の飯盛山城へ移った。
- 永禄6年(1563年)、城主の義興が急死、その後は三好三人衆のひとり三好長逸(みよし・ながやす)が城主となった。
- 永禄11年(1568年)、織田信長が近畿に勢力を伸ばし三好勢力を京周辺から追い出すと、和田惟政(わだ・これまさ)が高槻城に入城、元亀2年(1571年)に芥川山城は廃城となった。
- 本来、「芥川城(あくたがわじょう)」と呼ぶのが正しいが、南の平野部にあった芥川城と混同されるのを避けるため、今は「芥川山城」と呼んで区別される。
- 築城:永正12年(1515年)?
- 廃城:元亀2年(1571年)
- 築城主:細川高国
- 構造:連郭式山城
- 主な城主:細川晴元・三好長慶
見どころ・おすすめ
- 本丸跡-山頂部に位置し、南方向の眺めがよく遠く大阪の街を望める。
- 曲輪群・土塁-数多くの曲輪群がそのまま残されており、周囲の土塁の様子もはっきりとわかる。
- 堀切・土橋-曲輪群を分断する堀切とそれを繋ぐ土橋の様子が良く分かる。
- 石垣-大手道にはだいぶ朽ちてはいるが石垣が残されている。
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史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府高槻市原 【付近の史跡】
[ 南西・約3km ] 阿武山古墳(藤原鎌足墓)
[ 南・約3km ] 史跡新池ハニワ工場公園
[ 南・約3km ] 今城塚古墳(継体天皇陵)
[ 南東・約4km ] 嶋上郡衙跡
[ 南東・約4km ] 芥川城跡
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主な施設 |
曲輪、堀切、石垣、土塁、土橋、虎口 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【バス】 ・高槻市バス「塚脇」バス停 【マイカー】 ・新名神高速「高槻IC」から約4Km |