摂津高槻城城主・和田惟政の供養塔。※現在は東奈良史跡公園内に移動
歴史・概略
- 和田惟政(わだ・これまさ)は織田信長・足利義昭に仕え、義昭の上洛で摂津攻略後に摂津に所領を与えられた武将。元亀2年(1571年)8月28日、白井河原一帯で起こった「白井河原の戦い」により戦死した。
- 「白井河原の戦い(しらいがわらのたたかい)」は、それまで池田氏に仕えていた荒木村重、中川清秀と和田惟政、茨木城城主・茨木重朝との間に起った戦い。荒木・中川連合軍は白井河原の西、馬塚に布陣、茨木・和田連合軍は白井河原の東、糠塚に布陣し対峙した。茨木・和田連合軍の陣形が整う前に戦端が開かれたと言われ、惟政は清秀によって討ち取られ、重朝も村重本陣に迫る奮戦を見せたが村重によって討ち取られた。
- この戦いの後、惟政の子である惟長が高槻城城主となったが、高山友照・右近親子と対立し追放されている。
見どころ・おすすめ
- 周辺には白井河原の戦いに関連する史跡が残されているので、まとめて回るといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府茨木市五日市 【付近の史跡】
[ 北西・約0.7km ] 白井河原合戦跡
[ 西・約0.8km ] 馬塚(白井河原の戦い)
[ 西・約0.9km ] 郡山城跡
[ 北西・約1km ] 糠塚跡(白井河原の戦い)
[ 北西・約1.5km ] 将軍塚(大織冠神社・藤原鎌足墓)
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主な施設 |
供養塔(阪急南茨木駅近くの東奈良史跡公園内に移設) |
利用時間 |
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定休日 |
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料金 |
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交通 |
【バス】 ・阪急バス「郡」バス停 【マイカー】 ・名神高速「茨木IC」から約1.6Km |