京都府京都市にあった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の屋敷跡。
歴史・概略
- 天正10年6月2日(1582年6月21日)に起った「本能寺の変」により、織田家臣団の中で権力闘争が表面化した。「山崎の合戦」で謀反を起こした明智光秀に勝利し、家臣団の中で存在感を増した羽柴秀吉は天正11年(1583年)4月、「賤ヶ岳の戦い」において柴田勝家を下した。これにより反秀吉派の勢いは小さくなり、旧織田家臣は一部を除いてほぼ秀吉の下にまとまりつつあった。
- 天正11年(1583年)9月、大阪城を築城し大阪を本拠と決めた秀吉が、京都における拠点として、ここに二条第と呼ばれる屋敷を新造した。屋敷を建てる以前、この場所には妙顕寺と呼ばれる寺院があり、移転させた跡地に屋敷を建てたため、妙顕寺城とも呼ばれる。
- 普段は前田玄以が在城して政務を執り行い、秀吉上洛の際にはここが宿所となった。
- 天正14年(1586年)、関白となった秀吉は政庁として新たに聚楽第を新造し、そちらに移ったため妙顕寺城は役目を終えた。
- 屋敷は堀で囲まれ天守もあったといわれているが、作られてわずか数年で廃されていることから、その実態はほとんど分かっていない。
見どころ・おすすめ
- 現在の二条城(徳川時代)から近いので、そのついでにでも行くといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】
京都府京都市中京区古城町 |
主な施設 |
石碑・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.2Km ・JR「二条」駅から約1.3Km 【バス】 ・市バス「堀川御池」「二条城前」バス停 ・京都バス「堀川御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |