歴史・概略
- 鎌倉時代末期、鎌倉幕府の有力な御家人であった足利高氏は、幕府の命を受けて反幕府勢力を掃討するため大軍を率いて西へと向かっていた。しかし、高氏はこれを好機ととらえて後醍醐天皇に味方することを決断、元弘3年/正慶2年4月29日(1333年6月12日)、足利氏の所領である篠村において幕府に反旗を翻した。
- 篠村八幡宮で挙兵した高氏は必勝祈願の願文を奉じ、数日滞在したのちの5月7日(6月19日)、佐々木道誉や赤松則村らの兵とともに鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題に攻め入って勝利した。
- 時を同じくして、関東では新田義貞が挙兵し、鎌倉へと攻め入った。5月22日(7月4日)、北条家一族は自害、鎌倉幕府は滅亡した。
- 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は京に入り「建武の新政」を開始。高氏は後醍醐天皇から倒幕の戦功が認められ、天皇の名の「尊治」の一字をもらい「尊氏」と名を改めた。
見どころ・おすすめ
- 矢塚-尊氏が挙兵の際、願文とともに鏑矢を供えたと言われる塚。
- 旗立楊-旗揚げした際、足利氏の二引両の旗を掲げたと言われる楊(やなぎ)。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府亀岡市篠町篠 【付近の史跡】
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主な施設 |
篠村八幡宮・旗あげの地碑・旗立楊 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「馬堀」駅から約1.5Km 【バス】 ・京阪京都交通「篠村八幡宮前」「新畑田」バス停 【マイカー】 ・京都縦貫自動車道「篠IC」から約2Km ・駐車場あり |