桓武天皇 柏原陵 | 場所と地図 – 歴史のあと

桓武天皇 柏原陵

桓武天皇柏原陵 墓・慰霊碑
桓武天皇柏原陵
ジャンル:墓・慰霊碑
史跡年代:平安時代
関連タグ:

奈良時代後期から平安時代初期にかけて在位した桓武天皇の陵墓。平将門や平清盛など桓武平氏の祖であり、平安京への遷都を行ったことで知られる。

歴史・概略

  • 桓武天皇(かんむてんのう)。第50代天皇。山部(やまべ)日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやてりのみこと)
  • 在位:天応元年(781年) ~ 延暦25年(806年)
  • 父:光仁天皇 母:高野新笠(たかののにいがさ/百済武寧王の子孫といわれる和氏の一族)
  • 御陵名:柏原陵(かしわばらのみささぎ)
  • 墳形:円丘
  • 天平9年(737年)、天智天皇の孫にあたる白壁王(しらかべおう/後の光仁天皇)の第一皇子として誕生。
  • 宝亀元年(770年)、父・光仁天皇(こうにんてんのう)が即位。
  • 宝亀4年(773年)、皇太子となる。
  • 天応元年(781年)、光仁天皇の譲位により践祚・即位。
  • 延暦3年(784年)、長岡京遷都。
  • 延暦4年(785年)、藤原種継暗殺事件により弟の早良親王(さわらしんのう)が皇太子を廃された上、流罪。後に憤死した。
  • 延暦12年(793年)、長岡京で災害や不幸が重なったため再遷都を決定。早良親王の祟りであるともいわれる。
  • 延暦13年(794年)、平安京遷都。
  • 延暦20年(801年)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍として東北に派遣。蝦夷を平定。
  • 延暦25年(806年)、崩御。宝算70。
  • 陵は天皇の希望により宇多野(うたの)とされていたものの、占いによって柏原陵に埋葬された。その後年月の経過によって場所が不明となり、幕末になって現在地と定められた。ただ根拠は薄いとされ、正確な場所の特定には至っていない。

見どころ・おすすめ

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
【付近の史跡】
[ 東・約0.2km ] 木幡山伏見城跡
[ 南西・約0.9km ] 御香宮神社
[ 南西・約1.2km ] 指月伏見城跡
主な施設
柏原陵
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・近鉄電車「近鉄丹波橋」駅から約1Km
・京阪電車「丹波橋」駅から約1Km
・JR「桃山」駅から約1.2Km

【バス】
・市バス「丹波橋」バス停
・近鉄バス「丹波橋」バス停
・京阪バス「丹波橋駅東」バス停

【マイカー】
・名神高速道路「京都南IC」から約4Km
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