戦国最後の大決戦となった「大坂の陣」において、上杉景勝が本陣とした場所。
歴史・概略
- 豊臣秀吉の死後、江戸に幕府を開き天下人となった徳川家康はかつての主家・豊臣家に対し宣戦を布告、「大坂の陣」が始まった。戦いは慶長19年(1614年)11月から12月と慶長20年(1615年)4月から5月まで大きく2回に渡り行われ、前半を「大坂冬の陣」後半を「大坂夏の陣」という。双方合わせて冬は約36万、夏は約15万もの兵力が全国から動員された。
- 豊臣軍は大阪城の北東約2Kmの旧大和川北側にある今福(いまふく)村と南側の鴫野(しぎの)村に砦を構築、防戦の拠点とした。対して徳川軍は大阪城への足掛かりとして今福村に付け城を置くことを計画、付近にあった2か所の砦攻略を開始した。今福村攻略には出羽久保田藩佐竹義宣(さたけ・よしのぶ)が、鴫野村には出羽米沢藩上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)がそれぞれ命じられた。
- 慶長19年(1614年)11月26日早朝、今福村と鴫野村でほぼ同時に戦いが始まり、上杉軍は2000の兵が守る砦を攻め落とした。その後大野治長ら豊臣軍の援軍が到着すると一時的に混戦状態となったものの、砦を死守し豊臣軍は撤退した。この鴫野村で行われた一連の戦いを「鴫野の戦い(しぎののたたかい)」と呼ぶ。また、今福村での戦いは「今福の戦い」と呼ばれる。
- 「鴫野の戦い」の際、上杉景勝が本陣を置いたのが八劔神社(やつるぎじんじゃ)境内といわれており、境内には本陣跡を示す石碑が立てられている。
【冬の陣 おもな戦い】
- 木津川口の戦い
- 今福の戦い
- 鴫野の戦い
- 博労淵の戦い
- 野田・福島の戦い
- 真田丸の戦い
【夏の陣 おもな戦い】
見どころ・おすすめ
- 八劔神社を西に出たところにある城東小学校脇に鴫野古戦場碑が立てられている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市城東区鴫野東 【付近の史跡】
[ 西・約0km ] 大坂冬の陣 鴫野古戦場跡
[ 北・約0.8km ] 大坂冬の陣 今福・蒲生の戦い跡
[ 北西・約0.9km ] 大坂冬の陣 佐竹義宣本陣跡(若宮八幡大神宮)
[ 西・約2km ] 大阪城公園
[ 西・約2km ] 難波宮跡東辺
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主な施設 |
八劔神社・大阪冬の陣 上杉景勝本陣之地碑 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「鴫野」駅から約0.4Km ・JR「鴫野」駅から約0.4Km 【バス】 ・大阪シティバス「新喜多東二丁目」バス停 【マイカー】 ・阪神高速「法円坂IC」から約4Km |