大阪府大阪市にある神社。
歴史・概略
- この付近一帯は「大阪の陣(冬の陣)」の際、真田丸(さなだまる)が置かれたと言われる場所で、徳川方との間で激しい戦闘が起きた場所である。
- 「大阪の陣」開戦前の大阪城は、南側に平坦で開けた地形が広がり、防御が手薄であった。真田丸はこの弱点を補うため、真田幸村(信繁)が1か月ほどの間に築いた出城である。三日月のような形をしていたことから、偃月城(えんげつじょう)とも呼ばれた。
- 最大の激戦となった「真田丸の戦い」においては、前線にいた前田利常隊を挑発し、その挑発に誘われて攻めかかったところを、待ち伏せていた真田隊が襲って徳川方に多くの死傷者を出した。
- また、真田丸築城の際には、大阪城から真田丸へと通ずる抜け穴を掘ったとされ、境内に建つ幸村像の脇にはその抜け穴とされる穴が残っている。だがこれは徳川方が作った塹壕の跡ではないかとの説もある。
- 「大阪の陣」のおもな出来事
<慶長19年>
7月 方広寺梵鐘の銘文事件
10月 豊臣方・徳川方開戦準備
11月 木津川口の戦い
11月 今福の戦い
11月 鴫野の戦い
11月 博労淵の戦い
11月 野田・福島の戦い
12月 真田丸の戦い
12月 豊臣方と徳川方が和議を結ぶ
12月 堀の埋め立て開始
<慶長20年>
3月 豊臣家の移封を要求
4月 再び開戦準備
4月 樫井の戦い
5月 道明寺の戦い(後藤又兵衛討死)
5月 八尾・若江の戦い
5月 天王寺・岡山の戦い(真田幸村討死)
5月 千姫、大阪城より救出
5月 大阪城落城(豊臣秀頼・淀君自害)
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市天王寺区玉造本町 【付近の史跡】
[ 西・約0.2km ] 真田幸村出丸城跡(心眼寺・大坂の陣)
[ 南西・約0.6km ] 高津宮址(仁徳天皇)
[ 北西・約0.8km ] 越中井(細川忠興邸跡・ガラシャ最後の地)
[ 北西・約0.8km ] 前期難波宮朝堂院南門跡
[ 北西・約0.9km ] 難波宮跡東辺
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主な施設 |
社殿・真田信繁像 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「玉造」駅 |