大津城跡 | 場所と地図 – 歴史のあと

大津城跡

大津城跡碑 城跡
大津城跡碑
ジャンル:城跡/古戦場
史跡年代:安土桃山時代

滋賀県大津市にあった安土桃山時代の城。
天下分け目の関ケ原の戦いが勃発した際に大規模な攻城戦が行われたことで知られる。

歴史・概略

  • 築城:天正14年(1586年)
  • 廃城:慶長6年(1601年)
  • 築城主:浅野長政
  • 構造:平城
  • 主な城主:浅野長政・増田長盛・新庄直頼・京極高次・戸田一西
  • 天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いの戦功により浅野長政に大津の地が与えられ、入府当初は瀬田城、坂本城を本拠とした。
  • 天正14年(1586年)、豊臣秀吉の命により大津城を築城。築城には坂本城の資材が使用され、坂本城は廃城となった。
  • 大津城は琵琶湖西岸に造られた水城で、三重の堀と本丸や奥二の丸、二の丸、三の丸、伊予丸、香集丸などの曲輪群を持つ構造。本丸には4重5階の望楼型天守が建てられ、現在の彦根城の天守は大津城から移築したものとされている。
  • 大津城縄張り図

    大津城縄張り図(案内板より)

  • その後は天正17年(1589年)増田長盛天正19年(1591年)新庄直頼文禄4年(1595年)京極高次が次々に任ぜられ、数年おきに城主が変わっていった。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いが勃発し各地で戦闘が起こった。
    城主の京極高次が西軍から東軍へ寝返り、西軍は背後の大津城に対処する必要に迫られ城を包囲。高次は籠城策で8日ほど攻撃をしのいだものの、9月15日に降伏し開城した。
    開城の同日、関ケ原では両軍が衝突。大津城では西軍が勝利したものの、戦上手で知られた立花宗茂をはじめとする西軍約1万5千(1説には4万)が大津城にクギ付けとなり関ケ原で西軍は敗北した。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が入城。敗者となった石田三成が捕縛され大津城に護送、門前にさらされたあと家康と会見を行った。三成は門前にやってきた小早川秀秋に対し、裏切りを激しく糾弾したといわれている。
  • 慶長5年(1600年)、戦後京極氏は越前若狭に加増転封され、あとに戸田一西(とだかずあき)が入府。
  • 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により東4キロの場所に膳所城(ぜぜじょう)を新たに築城。大津城の建物は膳所城や彦根城に移築され、大津城は廃城となった。

史跡情報

地図
【場所】
滋賀県大津市浜大津
【付近の史跡】
[ 西・約1km ] 園城寺(三井寺)
[ 東・約3km ] 膳所城跡
[ 西・約5km ] 如意ヶ嶽城跡
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・京阪電車「びわ湖浜大津」駅から約0.1Km
・JR「大津」駅から約1.2Km

【バス】
・近江鉄道・湖国バス「浜大津」バス停
・京阪バス・江若交通バス「びわ湖浜大津」バス停

【マイカー】
・名神高速道路「大津IC」から約3Km
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