室町時代最大の戦乱のひとつ「応仁の乱」で、西軍の総大将となった山名宗全の邸宅があった場所。
歴史・概略
- 乱のきっかけとなったのは室町幕府管領畠山氏の後継争いで、そこに山名宗全(やまな・そうぜん)の政権内の地位向上や、さらには足利将軍家の後継争いなども絡んで、後に「応仁の乱」と呼ばれる戦乱に拡大した。
- 東軍の細川勝元は、細川邸と将軍の御所である「花の御所」を中心に陣を置き、西軍の山名宗全は山名邸に陣を置いた。東軍、西軍の呼び分け方はこのときの両軍の位置関係によるもの。
- この周辺一帯が西陣と呼ばれる理由は、山名氏の邸宅を中心に西軍の陣地が置かれたためである。
- 戦いは約10年間に渡って続き、西軍が陣を置いた山名邸や東軍が陣を置いた「花の御所」などは焼失、それ以外にも多くの建物が被害を受け、京都の街は荒廃していった。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区堀川通上立売下る一筋目西入る 【付近の史跡】
[ 東・約0.1km ] 山名宗全邸跡
[ 南東・約0.2km ] 西陣舟橋(高師直邸跡)
[ 北東・約0.3km ] 百々橋の礎石(応仁の乱)
[ 南東・約0.4km ] 慶長天主堂跡
[ 南・約0.4km ] 安倍晴明公居館之趾(晴明神社)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「今出川」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「堀川上立売」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約9Km |