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慶長天主堂跡

慶長天主堂跡 京都
慶長天主堂跡

江戸時代初期、京都にあったキリスト教の天主堂跡

歴史・概略

  • キリスト教は、戦国時代末期に日本に伝来して以来、織田信長の庇護のもと、布教によって多くの信者を獲得した。信長の後に天下を受け継いだ豊臣秀吉もキリスト教に対して寛容で、各地に南蛮寺が建てられるなどした。しかし、他宗教との衝突などから天正15年(1587年)にバテレン追放令を出し、布教が禁じられた。
  • 転機は慶長5年(1600年)に起った「関ケ原の戦い」で、政権が豊臣氏から徳川家康へと移り、家康はキリスト教の布教を認め、慶長9年(1604年)にこの地にヤソ会の天主堂教会が建てられた。
  • しかしそれも長くは続かず、慶長17年(1612年)には再びキリスト教が禁じられ、天主堂は焼き払われた。
  • 江戸時代、この地は「だいうす」と呼ばれており、これはデウスがなまったものと言われている。

施設データ

地図
住所:京都府京都市上京区亀屋町
慶長天主堂跡

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主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「今出川」駅から約0.6Km

【バス】
・市バス「堀河今出川」「一条戻橋・晴明神社前」バス停

【マイカー】
・名神高速道路「京都南IC」から約9Km

コメント

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