平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅跡、および里内裏跡。
歴史・概略
- 高陽院(かやのいん)は平安時代中期の関白・藤原頼通(ふじわら・よりみち/道長の長男)がおもな拠点とした屋敷である。ほかに「賀陽院」とも表記される。
- 平安時代初期、この付近には桓武天皇の皇子・賀陽親王(かやしんのう)の邸宅があった。その後幾人かの所有者を経た後、この地を気に入った頼通が保安元年(1021年)に寝殿造りの屋敷を造営した。敷地は2町四方(約250m四方)にも及ぶ広大なものであった。
発掘調査では約140メートルという巨大な池の跡も発見されており、屋敷の豪華絢爛さが裏付けられている。 - 頼道の引退後は里内裏となり、後冷泉天皇以後5代に渡って御所として使われた。
- 鎌倉時代初期、後鳥羽上皇が譲位した後の院御所とした。
- 貞応2年(1223年)、放火により焼失。この焼失を最後に再建されることはなかった。
見どころ・おすすめ
- 少し西に行ったところにも高陽院跡を表す案内が立てられている。
- ここは案内板のみで特に見られるものがあるわけではない。二条城のついでにでも寄ってみればいいかと。
- この周辺にはほかにも冷然院(れいぜいいん)跡や堀河天皇里内裏(ほりかわてんのうさとだいり)址、閑院内裏(かんいんだいり)跡、東三条殿(とうさんじょうどの)跡など、平安時代に使われた内裏跡がたくさんあるのでまとめて回るのがおすすめ。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区横鍛冶町 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 高陽院邸跡
[ 南西・約0.3km ] 板倉勝重・重宗屋敷跡
[ 西・約0.3km ] 聚楽城上杉景勝・直江兼続屋敷跡
[ 南・約0.3km ] 二条院候補地(陽成院跡)
[ 西・約0.3km ] 京都所司代跡
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主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.8Km 【バス】 ・市バス/京都バス「府庁前」「堀川丸太町」バス停 ・西日本JRバス「府庁前」「堀川丸太町」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約8Km |